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柔よく剛を制す。いや、柔道は習ったことはありません。

昨日の「温厚院」と「激昂院」の話を、ふとお風呂(お風呂のスイッチを入れる段階でなぜか部屋着を脱いだ。スイッチを押す時に気づいて、もう一度部屋着を着直す始末。どうしたんだ、私)に入ってる時に思い出して、確かにお母さんは本当にいつもニコニコしてて、私が言うのもなんだけど笑顔がすごく可愛かった。
これは私だけじゃなくて周りの人もそう言ってて、書いたかもしれないけど、中学校の同級生の男の子なんて「俺、〇〇は嫌だけど、〇〇のお母さんは好き」って言われた事すらある。ませたガキだ。

確かに、お母さんが怒ってるところを見た事ないのになあと思っていたら、いた、そういえば私にはもう1人血を分けられた人がいた。っていうか、今もいる。

そうか。そっちか。
という事であるシーンが走馬灯のように目に浮かんで来た。

私が小学校4年生の時、お父さんの方のお爺ちゃんが亡くなった。白血病だった。
お爺ちゃんが亡くなるまで、お母さんとお父さんがずっと一緒にいて、私もお爺ちゃんの病院に遊びに行くのがなんだか楽しかった。お爺ちゃんが楽しそうにするから。
それに、たくさんのお菓子や果物やお花があるし、病院の近くにあるケーキ屋さんでドーナッツを買ってもらうのもセットだったし。

お父さんには兄弟が8人もいる。
近くに住んでないから、お爺ちゃんの病院にもあんまりっていうか、全然来てくれなかった。何年も入院してたのに。
お盆とお正月くらい来た人もいたかなあ。っていう感じ。

どこでもそんな感じの人はいるんだろうね。
お葬式になって集合写真なんか撮って後でそれを見ると「えっ?ここに写ってる人って、誰?」みたいな。

それはお葬式の後のお食事会で起こった。
うちのお父さんは結構悲しみとかが心に響くタチだから、むっちゃシュンとしてて、子供の私が見てても「あーーあ」と思うくらいだった。
私も悲しかったけど、それでもこっちが励ましてあげなくちゃと思ったほど。
食事の席でも俯いてて、顔も上げない。

大きな和室に5-60人くらいの人がいて、お膳を、なんて言うの、真ん中を開けてぐるっと四角形で囲んだ感じに並べてお食事をしてた。
多分親戚とかの他に会社の人とかも来てたんだと思う。

食事会が始まって少ししたら、お父さんの2つ上のお兄さんが、突然遺産の話をし始めた。
この人は大阪で繊維会社を経営していて、なんだか仕事が忙しいからとかなんとか言って、お爺ちゃんが入院してからも一回も来てくれなかった人代表みたいな人だった。
でも、次男坊なのに当然のように権利を主張してきて、細かい言葉は忘れたけれど、子供の私が聴いてても胸糞悪くなるような事を言い出した。

この時の「細かい言葉は忘れた」っていうのには理由があって、それこそ足の先から頭の先まで何かが駆け抜けて、リミッターが切れてしまっていたから。

と、思った瞬間、電光石火、お膳を囲んでみんなが座っている真ん中に、お膳を吹き飛ばしながら突き進んで、その人を思いっきり背負い投げして畳に叩きつけた人がいた。
もちろん私ではない。私のお父さんだ。
「それで気が済むんなら、全部持っていけ。俺は何もいらん。そんな事、今、言うことなのか!」って。

静まり返るよね。

でも、良かった。
お父さんが後0.1秒遅かったら、ガキのくせに私が叫ぶところだったから。
もう若干、声が出かかってたもん。

いやあ、ここにいたね、私の半分。
いや、もしかしたら2/3。
柿泥棒もそうだし、親子って似るんだろうか。
もう少しお母さんに似てても良かったのに。

大人になって、お父さんの兄弟の一番上のお兄さん(この人の事は、なぜかいつもお父さんが気にかけてて、一緒に食事に行ったり、遊びに行ったりしてた)と話す機会があって、その人がいきなり「お父さんから聞いてるとは思うけど、おじちゃんはお爺ちゃんとお婆ちゃんの本当の子供じゃないんだよ」って言った。
「えっ?どういう事?」って聞いたら、おじちゃんの方がびっくりして「お父さんは何も話してないの?」って。
だから素直に「何も聞いてないよ」って言ったら「お父さんらしいな」って笑ってた。

なんでも、お爺ちゃんとお婆ちゃんにはなかなか子供ができなくて、後継に養子を迎えたらしい。それが一番上のお兄ちゃん。
そうしたら、なぜか急に子供を授かって、それがあのぶん投げられた私たちが2番目だと思ってた人。

だから、あの2番目はあの時、これみよがしに遺産の事を主張したのね、とそれを聞いて思った。

私はあの時「お爺ちゃんが病気になっても、何にもしなかったくせに、どの面さげて遺産とか言ってんだ!それもお葬式が終わってすぐに言うなんて!」って、単純な感情で怒りまくってたけど、その話を聞くと、お父さんはそれとは違った感情もあって投げ飛ばしたのかもと思った。
それと比べると、私って心が狭いなと恥ずかしくなった事を覚えている。

何かしたとか、しなかったとか言うのも変だもんね。私やお父さんやお母さんは、お爺ちゃんと一緒に過ごしたくて過ごしたんだから、そうしなかった人の事なんて関係ないっちゃあ、関係ないもの。

今でもお父さんの口から、一番上のお兄ちゃんは本当の兄弟じゃないみたいな話は一度も聞いてない。その人が亡くなってお葬式に行った時も、肩を落として俯いていた。

その一番上のお兄さんは、海が好きで船に乗るのが好きで、絵を描くのが好きだった。
だからお葬式の時、スケッチブックと簡単なスケッチができる水彩セットを棺に入れようと思って持って行った。
係の人に聞いたら入れてもいいって言ってくれたから、お花と一緒に入れた。

それを見てお父さんは「兄貴が喜ぶと思う。ありがとうね」って言ってくれた。

実際、見事に決まった背負い投げは、見ててむっちゃ気持ち良かった。
いざという時のために練習しよっかなあ。
へへっ。





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