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似て非なるものと、体があった頃の目玉の親父が意外とタイプだった話。

時々、ギャラリーに絵を見にきた人が

「あーこういう絵、よくあるよね」とか「あー、あの人っぽいっ作品だね」とか「こういうタイプの絵は、今は流行らないよね」とかという感想をパッと見ただけですぐに口にする人がいる。

そりゃあね、そういう人はものすごい眼識をお持ちで、あまたの絵画作品を世界中で見てきてうえでのその意見だろうから聞き流すが、心の奥の奥のほうで青白い炎がシュッと点火する。

あのね、なにもない所に何かを生み出してるんだから色々大変なんだよ。作家も。

誰かの作品に似てるとか、どっかで見た事あるとか、感想は素直になんでも言っていいものなんだけど、それ言い出したら「それってビートルズじゃん」とか「乗っかってるメロディーが違うだけでコード進行聞き飽きてるし」とか「モトを正せばゴジラじゃん」とか「主人公が幽霊と会話してるかとおもってたら、そっちの方が死んでたんだ」とか。

「似ている」と言い出したら「オリジナリティがない」と言い出したら、きりがないもので世の中は溢れかえってると思うんだよね。

でも、それがなに?

目に見えたもの、耳に聞こえたもの、もしかしたら今の自分に気がつく前から刷り込まれてきたかもしれない物でなりたってる私達、来たことないのに懐かしいとか、聴いたことないのにこころが揺れるとか、意味もないのにキュンとするとか、そんなわけの分からない感じが何処から来るのかきっちり説明できない以上、一見似てるかもしれないけど、似て非なるものだと思う。

影響を受ける事って悪いことじゃない。

それをその人を通して咀嚼して、もう一回表現し直すことで変わってくるし、真似っこしたからってソレソノモノになれる訳でもない。

確実にパクってるなっていうものや、そこに悪意的作為があるものはいただけないけど、二匹目のドジョウを狙ってるなくらいの程度をもってして形を成しているなら、まあ、いいんじゃないかと思う。

それって、結構大変な事だもの。

まあ、その上で作品や何かに関する分析力と再現力とマーケティング能力なんかの全てが、一匹目のドジョウを超えたら大したもんだ。

なぜか連休の最終日(今回の連休も、絶対仕事はするまいと心に固く誓っていた)「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」を見た。
全然詳しくないし、普通に偶然テレビでやってたアニメとかしか見たことなかったけど、なぜか感動して涙してしまった。ずるいな、あれは。
おまけに目玉親父こと鬼太郎のお父さんが体を持ってた時は以外とイケてたし、割とタイプだった。

ちょっと犬神家みたいな感じもしたけど(何かに似てるとか簡単に言っちゃダメって言った側から・・・。)まあ、都会の人が田舎の瓦どんだけ使ってんだよっていう、周りのちっこい家から浮いた、おっきな門とぐるりとした中が見えない壁で囲まれたでっかい屋敷を見たら、何となくそんな空想するよねって感じはする。

列車で旅行とかに行ってる時窓から外を眺めてると、たんぼとか畑とかがずーっと続く景色の中に小高い丘みたいなのが見えて、そこになんか瓦屋根が何層にも重なったようなおまけに平家で敷地の中に白い土蔵とかがある建物見ると、あれはなんかあるなと思ってしまうもの。

絶対薄暗いでかい畳の部屋の奥の床間の前に、座布団敷いてちっこいおばあちゃんかおじいちゃんが、お茶とか飲んでて、広すぎて日が届かないから遠くて顔がよく見えないの。
そんで、亡くなった人の写真がこれでもかっていうくらい飾ってあるの。
おまけにみんなこっち見てるみたいな。こわっ。

そういう感じがするから、ああいうお話ができたんだと思うんだよね。
だからこれも犬神家だろうと鬼太郎だろうと、潜在意識から来てるものだと思われるから、真似っこでも似てるわけでもないし、結局、見終わったら感動して泣いちゃったんだから「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」上出来。

あれは、子供ちゃんが見る映画なんだよね?違うのかな。
途中、エグい話が出てきたけど、大丈夫なんだろうか?っていうか子供ちゃんにはそれがわかるんだろうかと思ったシーンが多々あった。
子供ちゃんは案外、大人ほど深読みせずに見たまんまで「ジジィのやつ、とんでもないやつだなあ」とか「怨念の妖怪、こわーっ」って素直に思うだけなのかもね。

今日からお仕事頑張ってみましょう。
なんとなくだけど。

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