「暗号」って解読できなかったら、暗号じゃない気がする。と、化学の先生、ありがとう。
本棚を物色してたら「フランチェスコの暗号」が目についた。
イアン・コールドウェル&ダスティン・トマスンの共著で、2004年の本だから、恐ろしい事にもう20年も経ってるのかと思うと、過ぎ去って行く年月って怖い。
この頃はダン・ブラウンのダヴィンチ・コードとかの本が大ブームで、聞いた話によると映画の大ヒットのおかげでルーブル美術館が潤うほどの集客を見せたらしい。
実はこの「フランチェスコの暗号」も、華々しく映画化決定!と帯に書かれて販売されたのだが、ちょっとの差で波に乗り遅れると、波の下から浮上できないみたいだ。
お話としては、プリンストン大学の学生ポールが卒論に選んだ「ヒュプネロトマキア・ポリフィリ」の謎を解明しようと奮闘する話に、変質的にその本に興味を抱いている教授や他の大人が絡まってきて、謎めいた本の謎を解いて行くうちに殺人事件まで起こってしまうというお話。
ポールの友人達である大学生も出てきて、大学生活の楽しさや、それぞれに隠された悩みなどが描かれながら進んでいく。
ここで問題なのが、本当に「ヒュプネロトマキア・ポリフィリ」の謎が現実世界でも解明されていないということ。
まあ簡単に言うと、主人公の夢物語のお話で、1番の謎は誰がこの本を書いたかというところ。
一応、フランチェスコ・コロンナという修道士が書いたことにはなっているけれど、この修道士が実在した人物なのか、誰かのペンネームなのか、研究者の中にはロレンツォ・デ・メディチが書いたのではという者もいる。
そう、本筋の「フランチェスコの暗号」も面白いけれど、読んでいくうちにポールと同じように「ヒュプネロトマキア・ポリフィリ」の方に俄然興味を持ってかれた。
当時の印刷技術もさることながら、挿絵として刷られた木版画にも興味を惹かれたし、本自体のデザインが文字の部分にまで施されていて、そそるのなんの。
2018年に八坂書房から日本語訳も出ているらしいけど、当時はそんな貴徳な出版社もなくて、英語訳本を手に入れて眺めていた。
なんだかちょっと調べてみると、今年の2月に『ポリフィルス狂戀夢』というタイトル(高山宏〈訳〉)で東洋書林から出版されるみたいだけど、何気に今、なんか盛り上がりを見せてるんだろうか。なぜ?
だったらこの際、映画化決定!って書かれた帯を持つ「フランチェスコの暗号」を「ヒュプネロトマキア・ポリフィリ」の謎解きと交えて映画化するっていうのはどうだろう。
そうだなあ、プリンストンの大学生仲間を「ストレンジャー・シングス」の大きくなった子供達に、ちょっと小綺麗に賢そうにして演じてもらうとか、どう?
でも、流行らないんだろうなあ。
ブームってほんと、その時だけだものね。
ダヴィンチ・コードが流行ってた時に、さっさと映画作っちゃわなかったからダメだったんだろうな。
あれだよね、高校の時の髪の薄い化学の先生が言ってた「私の前髪の毛を触りたかったら、すぐに触らないと明日はなくなっているかもしれません」だよね。
高校生の頃は「先生、うまい事いうなあ、マジで前髪なくなりそうだし」って思って、授業のたびに「本当に触っていいんだろうか」と眺めてた。
書いてて思い出した!
高校1年生のバレンタインデーに、化学の授業が好きだった圭子ちゃんと一緒に(女子が少なかった)先生にチョコレートあげた!渋すぎるだろその趣味。
おまけにそのチョコレートを餌に、化学室で「頭」触らせてもらった。
うわっ思い出した。ニコニコしてた。先生の笑顔まで思い出した。いやん。
大人になってそのネタは「幸運の女神には前髪しかない」っていう古代ギリシャの諺から持ってきた話だったんだなって知った時は、オリジナルじゃなかったのね先生と思ったけれど、その先生の事好きだったし化学も好きだったから、間に受けて素直に「なるほど、本当にその通りだよね」って過ごせてた。
有り難いっちゃあ、有り難かったんだけどね。大人になって初めてその話を聞くか読むかしても、あの頃ほど「なるほど」とは思わなかった気がする。
話があっちこっちしたけど、2月に出るらしい翻訳本でも買ってみるか。
先生元気かなあ。頭、あれだったし、すごい年上に見えてたけど本当はいくつくらいだったんだろう。元気だったらいいな。
マジで、先生の前髪のお話、今までのいざっていう時思い出し続けて、私には役に立ってますから。ありがとうございます。
水兵リーベ僕の船と一緒に。