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自分が思いつくことくらい、出来ないことなんてないと思っている。だって、思いついたってことは、ねー。

作業スペースをもう少し広げたくて片付けをしてたら、懐かしいものがたくさん出てきた。
ギャラリーの企画展の資料とか、作家からの手紙とか、パーティの写真とか。
みんな若いなあ。っていうか今見るとまるで子供だ。
その中には結婚して子供がいる人もいる。
あの頃の顔と雰囲気を改めて見てると嘘みたいだ。
誰だって何はなくとも大人の形状にはなるみたいだ。

デザインの資料とかファイルも出てきて、まるで浦島太郎の玉手箱みたい。
まあ、開けなくてもあの頃より歳は取ってるんだけど。
もういらないな。
でも、海外でのアートフェアに参加した時の資料とかは、なんとなくもうちょっと取っておくかと思ってしまう。
そういう時の写真を見ると、ものすごく楽しそうだ。
私っていっつもこんなに笑ってたんだと思うくらい、笑い散らかしてる。
よっぽど楽しかったんだな。
だとしてもあの頃には戻れない。
寝る間も惜しんでっていう感じもあったから、今となってはとても無理だ。
できる時にできる事やれたんだったとしたら、それでよし。

時間が奪うものってなんだろう。
奪うっておかしいか。与えてくれるものもあるんだから、時間の経過を恨めしく思うだけだと時間に申し訳ない。
子供の頃は20歳の人見ても「大人だ」と思ってたし、大学に入った時は4年生のこと見ても「すっげー大人だ」って思ってた。
何のことはない。
今考えれば青二才じゃないか。

昨日読ませてもらったnoteの記事で、その人はある人から「可能性0%だ」と言い切られたらしい。笑える。
人間の可能性で0%に近いものなんて「永遠に生きること」くらいしか思い浮かばない。それだってこれからの未来、どうなるかわかったもんじゃない。
なのに、一生懸命なにかに挑戦しようとしてる人に「可能性0」って言える人ってすごいと思う。会ったことがないからわかんないけれど、きっと神様と横並びの位置にいるくらいの人なんだろうな。人の未来がわかるなんて、すごい能力だ。

ちょっと無理かもなと思うこともある。もちろんたくさん。
私の病気が何事もなかったように完治するとか、片手の親指だけで腕立て伏せができるようになるとか、生きてるうちに火星に移住するとか。
でも、無理かもなって思う範囲内で「絶対ない」「可能性0」かどうかはわからない。
わからないよ。なにがあるかなんて。
それにむかって努力してる人がいる限り、わからない。
だから面白いんじゃん。

これも時間が味方してくれることのひとつだ。
もちろん色々なことが出来るようになるには、時間が足りないかもしれないけれど、やめなければいいんだ。それをやる人間が変わっていったとしても、やりたいんだったら続ければいいんだと思う。

江戸時代、糖尿病や歯痛ですら死ぬ人がいたのに、今ではきちんと見てくれるお医者さんもお薬もある。黒死病でもコレラでも死なない。
ロケットは飛んでいくだけじゃなくて、まるで駐車場に駐車するかのように見事に戻ってくる。スペースシャトルは帰ってきてたけれど、ロケットだよ?そんなのちょっと前だったら考えられなかった。
画像見て「時代が変わった瞬間」の目撃者になった気がした。

なにより、コレね。
このデスクに座っていながら「Hello」って、世界中の友達とお話しできる。
それも顔を見ながら。
こんなこと江戸時代の人がみたら、腰抜かす。あっ、昭和初期でもそうかも。

だから「可能性0」なんて簡単に言っちゃダメだな。
私は図々しいから「人間が思いつくくらいのことなんて、出来ないことなんてない」と思ってる。
だって、思いつくってことはきっかけを掴んだってことなんだから、もうすでにそこに向かって歩き出してる。
後は、どうやったらそこに近づけるか、あーだーこーだやっていくだけでいいんだもの。ちょっとずつでも近づけるはず。
後は野となれ山となれだ。

楽観的なんだろうか。
でもな、そう思うんだもの。

あっ、1個だけ私の想像と違ってる状態のものがある。
それはリニアモーターカーだ。
子供の頃、この年齢になる頃には完全に一般の人が利用できるものになってると思ってた。まだやってるけれどね。
そのくらいかな。





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