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現実的なお話しでも、ファンタジーでもSFでも、どんな世界でも好物だ。活字って落ち着く。
フランシス・ハーディングの新しい本「ささやきの島」を読んだ。
今回は絵本。
お話がフランシス・ハーディングで、挿絵がケイト・グリーナウェイ賞を受賞してるエミリー・グラヴェット。この本のエミリー・グラフェットの挿絵はフレンチブルーとチャコールグレーと白の3色だけで表現された木版画みたいなタッチで、お話の内容によく合っている。
小さな島に住む人々は、亡くなっても自分だけでは天国に行けない。だから主人公マイロのお父さんが操縦する船に乗って、天国へ旅立つための入り口になる島に行かなくてはならない。その時死者の遺族は、死者が生前履いていた靴をマイロのお父さんに渡して船に乗せて行ってもらう。その靴について死者が天国へ向かう島まで海を渡っていけるように。
ファンタジーに分類される本なのだが、文章の中に盛り込まれるさりげない比喩表現が好き。
不思議なお話を追いかけながら、一緒に旅するように流れて行く情景描写も、美しかったり物悲しかったり、遥かに想像を超えてきたりして、あっという間に現実から遠ざけられていく。
フランシス・ハーディングの本を読むといつも子供の頃、ご飯も食べずに本を読んでいた時と同じ空間にいるような錯覚を覚える。
あの頃は夕ご飯に呼ばれる時間ギリギリまで本を読んでいて、見つかって呼ばれるのが嫌で、その頃同じ敷地の庭を挟んだお向かいにあったおばあちゃんの家の屋根裏に隠れて読んでいた。
今思えば、あんなに薄暗い場所でよく本が読めたものだ。
でも、小学生の頃はお家の決まりで、夕ご飯は絶対に家族4人で食べる事になっていたので、回避するのが難しかった。結局見つかって連れ戻される憂き目にあう。
ダイニングテーブルを囲んでいても、本の続きが気になって仕方なかったからご飯は上の空。
夕ご飯の時は、その日にあった事をお話ししながら食べるっていうのもなんとなくの習慣になってたので、それぞれに色々と話しながら食べてるんだけど気もそぞろ。そういう時はお父さんにバレて「ご飯に集中しなさい」って言われたりしてた。食べるのが遅かったから必死で食べるんだけど、なかなかご飯が減らない。
別に残さないで食べなさいとかいうお家ではなかったし、お母さんがテーブルに並べる量は残さずに食べる方が難しい量だったのでそれはいいんだけれど、それでも最低限は食べないと解放されない。
今考えるとあんなご飯を作ってくれてたのに、お母さんに悪いことしたな。
ご飯は作ってもらえるのが当たり前だと思ってたなんて、なんてお馬鹿さんだったんだろうと、一人暮らしを始めた時痛切に思ったものだ。
外食してもほとんどのお店の料理より、お母さんの料理の方が美味しいなあって思った。天ぷらとかお寿司とかはお母さんが「お店で食べる方が絶対美味しい」って事で、家では出なかったけれど。
今回の本は短いお話しだったけれど、それでも不思議な世界に連れて行ってくれた。以前、偶然読んだフランシス・ハーディングの本を読んだ人の書評に「ファンタジーなのに、文学的表現が多くて読みにくく、私には会いませんでした」と書いてあった。
本当に人それぞれだなあと思った。
お話しの内容ももちろん好きだけど、多分その人が文学的表現と評した部分が散りばめられてるところが私は好きで、それがあるから作家が選ぶ言葉の世界を楽しめている。
読んだ側から早く新しい本が出ないかなあなんて、もう思っている。
他にも並行して読んでる本があるっていうのに、落ち着きがない人だ。
この世界に本があって良かった。
面白い本を書いてくれる人がいて良かった。
ありがとうございますです♪
あっ写真のプーはリップバームの蓋。可愛いし潤いもいい感じ。