
Sigur Rosといろいろなグレイ色の空と風に舞う、
雲の形がカッコよくて、カフェの帰りに写真を撮った。昔の人が雲の上に別の世界があるみたいな想像したのもわかる気がする。
お持ち帰りのラテをタンブラーに入れてもらって、かわいいワンコとお散歩している人たちを羨ましいなあって横目見ながら、どんどん変わっていく空の色を確かめつつフラフラ帰っていた。
もうすぐお家に着くっていう道に着いた時、いろいろなグレイ色をした空にふわふわと舞う白いビニール袋を見つけた。
なんて綺麗なんだろう。
風の動きは透明でなかなか見ることが出来ないけれど、その白いビニール袋が右に左に上に下に動くたびに、動き回る風がはっきり見えた。
空の色と風の音と白いビニール袋。多分、そのビニール袋が道端に落ちてたら、ちょっとだけ不快な気分になっただろうと思う。故意に捨てられたかどうかもわからないし、どこかにきちんと置いていたものが何かの拍子で道に落ちたのかもしれない。どちらにしても道に落ちている白いビニール袋はあんまりいい感じがしない。
なのに、どうだ。あのふわふわと空に舞う白いビニール袋は。綺麗で綺麗でずっと見ていたい。立ち止まって馬鹿みたいに空を見上げて見えなくなるまでずっと見ていた。
以前、ニューヨークで活躍している女性作家が私にこう言った。
「イラク戦争の映像を見たとき、私ね、暗い夜空に煌めく爆弾の光を綺麗だなあって思ってしまったの。わかる。許されない酷いことが起こっていることはちゃんとわかってる。でも、その映像があまりに綺麗で目を離せなかった。」と。
何かを見て綺麗だと思う心は抑えることができないし、自分ではコントロールできないのではないかと思う。それは突然やってきて心に突き刺さる。
理由も、それが実はなんなのかも関係なく訪れる。それでいいと思う。
白いビニール袋を眺めていた時、イヤホンから聞こえていたのは Sigur Rosの「Svefun-G-Enger」。まるで映画のワンシーンに取り込まれてしまったような、あまりにも綺麗で静かな時間だった。
あの時間帯にカフェに行かなかったらあの空を見ることもなかったし、あの空に浮かぶ白いビニール袋にも出会えなかった。普通の1日の中にそんな偶然と時間があることがなんだか素敵で幸せだ。
昔見た映画で、主人公の家のお向かいの青年が、風に舞うビニール袋をずっとビデオで撮り続けるシーンがあった。そのシーンを見た時、寂しいような切ないような、それでいてまるで自分自身が白いビニール袋になって、風にまかせてどこにでもいけるような楽しげな自由を同時に感じてたことを思い出した。
改めて、経験と記憶はどれだけ時間が経っても、繰り返し何度でも取り出して楽しめる宝物だなと思う。多分私は、たくさんの宝物を溜め込んだ欲張りさんだから、これから何があっても楽しい時間を過ごせる気がする。
そして、相変わらずその白いビニール袋と出会った時の写真も動画もない。
ボーーーーっと見ていて「あっ写真撮らなきゃ」と思った時には、白いビニール袋はいなくなっていた。
まっ、いっか。これも記憶のポケットに入れておこう。Sigur Rosの「Svefun-G-Enger」と、少し湿った緑の香りの空気と一緒に。