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映画「花束みたいな恋をした」を見て恐怖で震えた。

早くも土曜日。また3連休みたいですね。
なんだか長いお休みの後、お仕事とか学校とかが始まったなあって思った矢先にまたお休みって、どっちの気分なんでしょうね。
お正月休みから引きずってる若干残ったお疲れ様が、この連休で取れていいなって思うのか、お正月気分からやっと気持ちを切り替えたのに、またお休みかって感じなのか、それともお休みはどんな形でもいつでもオッケーっす、なのか。
ま、色々か。

昨日の夜「お風呂が沸きました」って教えてくれたにもかかわらず、ちろっとテレビを見てたら「花束みたいな恋をした」っていう映画が始まって、見る気はなかったのについ見てしまった。
見始めてからすぐ嫌な予感しかなかった。絶対にこの恋人たちは別れちゃうんだって思って、どっちかが死ぬとかやめてくれよとか、どんな理由で別れるんだろうとか、そっちにしか気がいかなかった。
ああいうお話は見てられない。私にとってはホラー映画の方がましで、まさに目の前に手のひらをあてて指の隙間から見る感じ。
あんなに仲良さそうに楽しげにしてる2人なのに、そんな時でさえ挟まれてくるうまくいきそうにない2人の違い。生まれた場所、育った環境、両親のタイプ。
そこのところはちょっとしか表現されていないから、余計につらい。
でも、いくらその時同じ演劇が好きでも、同じ本が好きでも、インテリアの感じが好きでも、時間の過ごし方が好きでも、少しづつ侵食してくる大きな違いに勝てない。

だから嫌なんだよな。
人と人との関係って。
初めから絶対に同じ感性の人間なんていないって心に言い聞かせてないと、痛い目にあう。
「僕はコーヒーが好き」
「いやん、私も大好き♡」
で、デートに漕ぎ着けて大好きな美味しいコーヒー屋さんに連れてってみたら、一杯だての極上コーヒーに砂糖とミルクを入れやがったって感じ。
痛い目にあうってのも人生だよって、色々経験豊富な人は言うかもしれないけれど、そこんところは人それぞれだからあんまり言われたくもない。
なくす事を恐れてると何にもできないとか、死んじゃったら悲しいけれど、それまでの関係がそれこそ「花束みたい」だったら、その経験の方が大切な思い出になるんだよとか、言葉ではそうなんですねと思うけれど、心の底ではわからない。

それに私は失恋とかの経験がないから深くは良くわからなくて、余計にああいう可愛い関係の2人とかを見てると、もう辛くてしょうがない。だってああいう2人はなにがしかの諦めを伴わないと一生一緒になんかいられないんだもの。
それも多分、自分の中にある1番譲れない部分の何か。
そんな事までして誰かと一緒に過ごす事が必要なんだろうか。
そんな事までして誰かと一緒にいたいと思える事が幸せなのかもしれない。
そんな人が現れた人たちが、結婚したりしなかったりでも、末長く幸せに暮らしているんだろう。
恋愛は難しい。

映画の中で、別れた後どっかのレストランの入り口ですれ違って、後ろ姿でバイバイするシーンがある。その時2人はお互いに違った相手を伴っている。
あのシーンはどんな風に見たらいいんだろう。
もうお互い吹っ切れてるから相手の幸せを願える関係になってる状態ですって感じなんだろうか。
でも、お互いの今の相手の方の気持ちになってみたら嫌だなと思う。
誰にでも過去があるとは思うが、あそこで後ろ手に自分と付き合う前に付き合ってた人に、あんなタイミンングとやり方で、目も合わせずに焦らずに後ろ手バイバイしあうなんて、今の相手のことを軽んじてるように私には見えた。
まるであの頃の「花束みたいな恋」は2人にとって何にも代え難い大切な本物で、これからは社会とか大人の世界での関係を含んだ、いわゆる割り切った理由ありの恋愛だの結婚だのになっていくんだよみたいな感じがした。
そんなもんだよ人生なんて、いつまでも好きだのなんだの言ってられないのが、大人の世界なんですよって。

今まで生きてきて、知り合いの中に結婚していく人とかもいて「学生の事とは違うんだよ」とか「銀行員は結婚してないと信用されないって上司にしつこく言われるから」とか、それこそ「責任ってものがあるんだよ」とか実際聞いた事もあるけれど、その度に今まで生きてきた自分を捨ててまでそんな事考えるんだーと思ってたけれど、ああいう人は小学生の時も大学生の時、もともとそういう人だったんだろうと思う。
ランドセルを背負ってるビジュアルや、ギターを弾いてるビジュアルや、一緒に世界征服だーとか言ってグライダーを飛ばしてたビジュアルの方が、その時代にしかできない自己表現を出来る環境だからやってただけで、その環境がなくなるとそれを越えてまでやろうとはしないタイプなんだろうなって。

ギャラリーで見てきた作家だって、大学にいる時は学校の施設で、学校の設備を使って版画とか刷って「版画家になりたいんです」みたいに言ってた人も、卒業して施設もプレス機も使えない状況になると「学校にいる時は、なんでも使えたから出来たんですよ」とかなんとか不平不満を言い出して、版画をやめて他の画風に切り替える人もいた。でも、そういう人は、結局作品を生み出すことをやめてしまう。

かと思うと、なんとしてでも作り続けようと模索し続ける人もいる。自分にはこの表現方法しかないんだって、見ていて気持ちいいいくらいの苦労を重ねてでもやり通す人もいる。こういう人は他のことに頓着しない。もちろんそれ以外にもしたいことも欲しいものも普通に欲求はあるんだろうと思う。でも、どっちをとるかっていう選択を迫られた時、インクと紙を買う方を選ぶ。

あっ、恋愛とそれは違うのか、何言ってんだろう。

「花束みたいな恋をした」は、ホラー映画より怖かった。

素敵な日曜日をお過ごしください。


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