残暑だから、カマキリさんも水飲み場から離れられないみたい。
和紅茶っていうのがあるのを知って、お茶屋さんから送ってもらって飲んでるのだけれど、美味しい。
日本で作ってるせいか(こういう時だけ日本人ぶったりする)渋みも少なくて、まろくて甘く感じる。
わたしが勧められて買った茶葉がそういうテイストなだけかもしれないけれど、そのお店のものは緑茶も、緑茶に蜜柑とか八角とかの自然なものをブレンドしたものも、どれも美味しい。
初めて、紅茶と緑茶は同じお茶の葉からできてるって知った時には驚いたものだ。
飲むシチュエーションとか、茶器の違いとかで、勝手に全然別の木から収穫されるものだと思っていた。緑茶の木と、紅茶の木。
収穫した後の葉っぱを発酵させるかさせないかの違いだなんて、ほほーと思ったものだ。
台湾に行ったらお茶さんに行くんだけれど、むっちゃお高いプーアル茶とかがある。たかっ!って思うけれど、そこでしか収穫されなくて日本では飲めませんよって言われると、ものすごいお茶好きでもないのに、どれどれと頼んでしまう。
お姉さん(時にはおじさん)が、目の前で可愛い茶器のならんだお盆みたいなのに、お湯をふんだんにつかって、あれやこれやして「はじめは香りを楽しんでください」と、ちっこい蓋のついたちっこい湯呑みを差し出してくる。
それで、ふむふむと鼻を近づけると、たしかになんだか芳醇な香りがする。
そうこうしてると「一番茶です」みたいなことを言いながらお茶をだしてくれる。
「おー、たしかに美味しい。甘いのね。」ってなる。
そして、また、たおやかな手つきで(おじさんの場合は手慣れた感じで)二番茶、三番茶と出してくれる。
そして最後に「このお茶の葉で入れました」とお茶の入ったパッケージを差し出してくる。
どこぞのレストランのシェフが言ってたけれど「家庭料理と俺たちがつくる料理のなにがちがうって、塩の量。塩味の度合いで美味しいか美味しくないか決まってくるから、俺たちは家庭料理では入れないくらいの塩を入れる。でも塩辛いと思わせたらだめだから、その見極めが難しい。それがプロの技」みたいなことを言ってた。
これと同じで砂糖の量もそうなんだと思う。
以前見たテレビ番組で、お笑いの人、なんだっけ、頭が坊主っくりでどっかの
ちっこい島生まれで、あー、千鳥だ。大吾?こんな字だっけ? とにかくその人が
「おいしいっち思わせたかったら、砂糖よ、砂糖を自分がおもーとるのの2倍、2倍いれることやね」みたいな事言ってた。
本人が料理するかどうかはわかんなかったけれど、誰かが作った料理を食べて、そういうアドバイスをしてた感じ?
なかなか言い得て妙な事を言うなと、感心したものだ。
ほんとその通りなんだよね、甘いか塩が効いてるか、どっちの方向にしたってその辺の味覚を刺激されると、美味しいってなっちゃうんだよね。
今年の夏、お初な事があった。
スイカを食べる時、生まれて初めて塩をかけて食べた。
うちのもう1人のデザイナーが「かけて食べた事ないんですか?」と、常識ぶった言い回しで攻めてくるもんだから「なんだよ、常識なのか?」と思って、疑いながらもかけてみた。うまっ。
かけないで食べてたそれも、甘くてジューシーなスイカを選べてて「でかした、私」と思ってたのに、なんと、ちょびっと塩をかける事で、なんだか違う甘さが引き出されて美味しい。悔しかったが続け様に塩を振りかけて食べてしまった。
なんだ、その目は。
塩梅なのよね、多分。どれもこれも、あれもこれも。
ここまで生きてきても新しい経験ができるなんて、きっとあの日、私の脳みそが若返ったことに違いない。
あたらしい刺激の記録だ。
ありがとう、スイカ。
ありがとう、お塩。
ありがとう、言わない。
だから、和紅茶の甘さは私の脳みそに、とても美味しいものだという判断がくだされているのだと思う。
多分、紅茶とか日本茶とかに詳しい人とか凝ってる人とかは、ものすごいんだと思うけれど(相棒の右京さんみたいに)イギリスのホームスティ先の、ちょっと癖強おばあちゃんの、元は何色で、何がついてるんですかそのポットは?っていうポットで入れてた紅茶が、彼女にとっては一番美味しい紅茶なんだろうな。
っていうか、あの人に和紅茶とか飲ませても美味しいと思ってくれるんだろうか・・・。
「あまっ、おまけにいい渋みもないし、なにこれ?」って言われそうでもある。
多分、もうこの世にはいないだろうから、飲ませてあげる事はできないだろうけど、スティしてる時のちょっとした意地悪さ加減のせいで、私は今でも紅茶を飲む時、赤の他人のおばあちゃんをこうして思い出す。
甘い紅茶と、渋い意地悪おばあちゃん。
この組み合わせが、いい塩梅なのかもしれない。
和紅茶おいしいです。
この季節になるととてもいいです。