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大切な事を考えさせられた。切なさと思い出と、答えの出ない事。
パリに行くと必ず訪れる場所がある。
美術館は当然だけれど、欠かさず訪れるのは「モンパルナス墓地」だ。
今頃の季節の天気がいい1日。
高い空と落ち葉と秋の香りをふんだんに纏ったその場所は、澄み切っていて心が洗われる。
中心地からモンパルナスタワーの方へ行くと、その墓地はある。
墓地と言っても、とても広い公園のようだ。
お墓のデザインも色々だし、こんなお墓だったら入ってもいいなと思うものがたくさんある。
アルベール・カミュは「その国を知りたければ、その国で人々がどのように死ぬかを調べなさい」と言った。
死者に対するその国の人々の考えが表れるからなんじゃないかと思う。
墓地は死者のために存在するのだろうとは思うけれど、モンパルナス墓地を散策していると、生者のためにあるのではないかと思われてくる。
人は大抵、同じように生まれ、同じように死ぬ。
けれど、死ぬその瞬間までひとつとして同じ生はない。その確固たる証がそこにあるように思われる。
セルジュ・ゲンスブールのお墓には、いつ訪れても地下鉄の切符とタバコが置かれている。青い美しい箱に入ったジタン。残念なことにボックスのバランスが変わってしまったけれど、横長のボックスに施されたデザインが秀逸だと思っている。
もしも私がタバコを吸う人なら、絶対にジタンを選ぶだろう。
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ジャン=ポール・サルトル と シモーヌ·ド·ボーヴォワールは、並んでそこにいる。
マルグリット・デュラスのお墓には、ペンの花束が添えられている。
有名人をあげればキリがなく、こんなにも錚々たる人たちがここに眠っているのかと思うと、一日中いても飽きることがない。
一人一人に思いを巡らせ、その人が書いた詩や小説や哲学書、絵画や彫刻や建物、解いた数式に思いを馳せる。
気持ちのいい晴れた日に、喧騒から離れた場所にあるその場所にいると、このままここで朽ちてもいいなとさえ思えてる。
ここに来る理由がもうひとつある。
ブランクーシの「接吻」が墓石として存在しているからだ。
自殺してしまった女性のために作られたそのお墓は、墓地の隅の方にひっそりとある。錚々たる人々の、華麗だったり壮麗だったり、モダンだったりする墓所が並ぶメインの通りから少し入った、隅の方。
自殺してしまった人は本来なら墓地に入れない。
何の囲いもなく、屋根もなく、誰でも触れる距離で見ることが出来る。
ブランクーシがロダンのアトリエから独立した頃の作品。今でこそ彼の代表作で傑作とされているけれど、彼が失恋の痛手から自殺してしまった女性のために作った時は、きっと依頼された時の目の前の出来事に対して、本来の目的のために制作したんだろうと思う。
どうか、やすらかに。
その墓石の前に佇むと、芸術の本来の意味を考えさせられる。
あらゆる芸術作品を特別にして行くのは周りの人間で、作家が生み出した時はそんなことまでは考えていない。
心に溢れて止まない自らの思いを形にして、無の世界に存在させたい。
ただそれだけ。
制作に慣れて、少しだけ評価がついたりすると、作品を残したいとか、自分の名前を残したいとか考え始める人間も出てくるのかもしれない。
そんな事は考えても無駄な事。
さっきも書いた通り、残すか、残さないかは、周りの人間が決めること。
人は作品より先に死ぬ。
作品が良ければ尚更の事。
残したいと素直に思われるような作品だったら、作家本人がどうこうしなくても、残って行く。
大切にされて、保護されながら。
モンパルナス墓地の「接吻」は、雨晒し日晒しのなか、少しづつ侵食されながらもそこに立ち続けていた。
誰のためでもなく、これからの人生を選べなかったタチアナのため。
失意の母親から依頼されて、若い彫刻家がその娘のために製作した「接吻」。
誰にでも自由に見れたそれは、醜い箱をかぶせられてしまった。
金に目が眩んだ遺族と、多分それをそそのかしたディーラーのせい。
同じ場所に眠っているブランクーシは、それをどう思っているのだろう。
箱が被せられてから、モンパルナス墓地には行ってない。
人のために芸術があるのか、芸術のために人が必要なのか。
芸術の価値を測るものがお金でしかないのなら、霞を食って生きていきたい。
なのに、規模は全然違うけれど、私がデザインして作り上げたものには対価が払われる。
やっぱり、私は偽善者なんだろうか。
それでも、私は芸術の持つ力を信じている。
そして、ただ、大好きだ。