せめてお名前だけでも
日本にはいたるところに自動販売機がありますが、あれはなかなか海外ではお目にかかれない風景の一つです。さらに無人の青空市場まである。まさか東京にも青空市場があるとは思っていませんでした。私は青空市場ののぼりがあれば、とりあえずのぞくようにしています。
いま住んでいる東京の家の近くには畑があり、たまに青空市場をやっています。ニンジンやキュウリ、ジャガイモなどが並び、値段も50円からと良心的。その畑は近くの保育園に場所を貸しているようで、秋前には各組を示す札がついたサツマイモ畑が広がります。昨秋も園児たちが掘り起こして、きっと大学いもでも食べたんだろうな。
もう5年前のことかと。その畑でまた青空市場がありました。どれどれとのぞいてみると、私の大好きなナスがなんと50円で売られていました。買わない手はない。すぐに財布を取り出すも、小銭がありませんでした。ちょっと離れたところにコンビニはあったわけですから、そこで崩してまた来るということもできたでしょう。ただ、やっぱり面倒です。
惜しいなぁと思いながら青空市場を後にしようとしていたところ、ご婦人がいらっしゃいました。「あら安いわね」と。「そうなんですよ。立派なナスなのに」と私。でも小銭がない。立ち去ろうとしていた私にご婦人は言いました。「いいわよ。私、100円あるから。あなたも持って帰って。100円だって安いんだから」。そう笑顔で言って、100円玉を代金缶の中に入れてくださいました。
もちろん面識なんてないです。人付き合いがほぼ皆無の東京の空の下で、こんなこともあるんだ。うれしくなり、つい言いました。「ありがとうございます。せめてお名前だけでも」。ご婦人はまた笑顔で言いました。「中田です」
その青空市場にはいまもちょくちょくのぞきに行きますが、まだ中田さんに会えていません。今度は私が、さっと100円玉をお出ししたいと思っています。
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