4年ぶりの全体ハロコンに行く。

 2020年以来となった全体ハロコンが遂に開幕。私は8月10日の夜公演(ベガ)に参戦してきました。その時の感想と、この4年間のことを振り返っていきたいと思います。

アップフロントという神企業。

 コロナ禍で開催がされていなかった全体ハロコンが、2024年夏、遂に復活しました。総勢72名のハロメンが全国各地を回るツアー。昨今の宿泊費の高騰等を考えると、スタッフさんも含めて多数の宿泊や移動を手配し、ハロコンを開催してくれるアップフロントはまさに神企業だと思います。
 そんな事務所の頑張りに応えるかのように、メンバー達も4年ぶりのステージで大いに躍動してくれていました。特にシャッフル曲で愛生ちゃんが登場する楽曲は私の個人的最大のハイライトで、あの曲を観られただけでもチケットを買って行った甲斐があったと言える素晴らしいパフォーマンスでした。また、つばきの新メンバーやロージークロニクルのパフォーマンスを生で観るのは初めてでしたが、良い意味で新人感の全くない堂々たるパフォーマンスで、我が軍の未来は明るいと確信しました。

2020年冬のハロコンを振り返る。

 2020年の冬のハロコン。私は2月2日の広島公演に参戦しました。1月末で9年間勤めた某Jクラブを退職し、翌日は名古屋でのこぶしのラストシングルのリリイベに参加し、その日の夜に夜行バスで広島へと向かいました。このころからコロナが流行の兆しを見せ始めていて、こぶしのイベントでは握手会がお見送り会に変更となり、メンバーもマスクをしてお見送りを行っていました。私はその数週間前に花粉症用で買ったマスクを着用し、参戦しましたが、れいれいの顔がマスクでほぼ隠れていたことが印象に残っています。
 翌日のハロコンもコロナの影響で客席降臨はなく、当時は残念に思いましたが、その後の惨事を考えると、開催してくれただけでも有り難かったと思います。その時のハロコンは、公演中の写真撮影がOKだった数少ない公演で、私はまーちゃんと愛生ちゃんを中心に写真撮影にも挑戦しまし、その時の1枚はTwitterのプロフィール画面に使用しています。パフォーマンスでは、愛生ちゃん、工藤由愛ちゃん、太田遥香ちゃん北研出身の3人がカントリー・ガールズの恋泥棒を披露し、テンションが上がったことを鮮明に覚えています。

4年間の私の人生

 そんな冬のハロコンが終わる頃には、世間はコロナ禍へと突入し、ひなフェスやこぶしの解散公演は無観客に、その後は公演はおろか社会活動そのものが中止となる時期もあり、通常の生活が戻るまでに数年、そして我々のハロコンが復活するまでに4年以上の歳月が流れました。
 この4年間で私の人生にも大きな変化がありました。海外渡航を目指して退職するもコロナの影響で頓挫し、切り替えて就職した会社は風土が合わずに心を病み、わずか2ヶ月で退職しました。その後、縁あって東南アジアでの仕事のチャンスを得ますが、その会社にも合わずに1年で失意の帰国となってしまいました。そんな辛い時期を乗り越えられたのは、やはりハロープロジェクトがあってのでした。Juice=JuiceのBorder LINEは2ヶ月でやめた会社に勤務していた時の、アンジュルムの泳げないマーメイドは東南アジアでの、私のテーマソングとなり心の支えとなりました。そして、帰国後には現在の職場に出会う事が出来て、私の人生史上まれに見ぬ安定した日々を過ごしています。

いつも心にハロプロを。

 こうして振り返ると、この怒濤の4年間の私の隣には、常にハロープロジェクトがありました。彼女たちからもらった力で、私は大変な時期を乗り越えて今の穏やかな日々へとたどり着くことが出来ましたし、穏やかな日々の隣にもハロプロが存在し続けています。
 『ハロプロを知らない人は人生の100%を損している』
 そう語ったのはモーニング娘。前リーダーの譜久村聖ちゃんです。
 彼女の表現にはやや誇張した部分が含まれてはいますが、ハロプロがなければ私の人生が終わっていたかも知れないと思うと、ふくちゃんの言うこともあながち間違いではありません。
 これからも私の隣にはハロプロがあって私を支えてくれることでしょう。っして、その感謝の気持ちを少しでも表現するために、世間にハロープロジェクトの素晴らしさを伝えて行ければと思います。

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