周囲に同化しようとしてた?
先日ある方に自分のことを少し説明する機会があり、幼稚園に通っていた当時のことを例え話に使ってみました。
プールの初日に周囲の子どもたちがどんな水着で泳ぐのか気になり、その日は様子を見るために見学をしたと話すと、「そんな頃から自分の個性を消して、周囲に同化しようとしていたんですね」と言われました。
これには驚きました!
その方の解釈に意表を突かれましたが、それ以上に自分がそんな子供だったとは思いもよりませんでしたので。
人が周囲に同化しようとする理由は様々。
子供の私がどんな理由からそうしたのかは分かりません。
当時の自分に会って聞いてみたいくらいです。
それとは別に、一つだけ言えるのは、特別扱いされるのが嫌だった、ということです。
小学生になると、なぜか特別扱いを受けるようになり、大人になっても続いています。
良くも悪くも、特別に扱われることは不快なのです。
最近では、周囲と同じであれば特に何も考えずに過ごすことができる、そんな快適さを選んでストレスを避けたい場合もありますが、短時間ですぐに飽きてしまいます。
自己主張の強い聞く耳のないタイプの特定の人物に対しては、同調するフリをしますが、この場合はストレスを受け入れなければなりません。
私にとって、こちらが同調してあげなければならないタイプの人物とは、決まって自分自身については話したがらない人々です。
既存の思想に自分の好みで色付けした主張しかしてくれませんので、手応えのない人だと感じます。
一方で、粋な人々もいます。
創造性をを楽しんでいる人たちです。
最近、薔薇を育てているんですが、私の薔薇の購入先の育種家の方はとても魅力的なのです。
薔薇の名前のつけ方がその人の繊細さ、愛情をを表しています。
そんな素敵な人が、薔薇に限らず植物に興味を示さなかった、眠りこけていた私に薔薇を通して命を吹き込んでくれたみたい。
もう一度愛してみなさと、言われているみたい。
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