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選択肢

選択肢が多いとかえって困ると言う人、多いですよね。確かに選択肢が少ない、あるいは全くないのなら迷わないので楽なのかもしれませんね。

以前、知人が自分は結婚相手を決める時とても悩むけど、自分の祖父母の代は本意ではなくても簡単(楽)に相手を決めていたと言っていました。その意味はよくわかります。私にも「選択肢が多くて困る」という感覚を経験したことがあります。しかし、実際は「困る」なんて嘘だとわかります。それは単に自分では決められないと言っているだけで、本来なら選択肢は多い方が面白いと思うんです。

考えてみれば毎日たくさんの事を選んで暮らしています。明日の朝は何時に起きて薔薇に水をあげよう、とか。出かける予定だったけど、この土砂降りじゃ行きたくないからやめよう、とか。ご飯を半分だけ食べよう、とか。生花がないからドライフラワーで代用しよう、とか。これらは私のある一日の出来事ですが、全部選んでいます。

毎日の小さな選択も、自分がしているという自覚があれば、日々がもっと生き生きと感じられるし、主体的に振る舞っているなら、日常のちょっとしたことでも「何にしようか」「いつにしようか」「どっちがいいか」と迷う時、面白くて、ちょっとしたワクワク感すら味わったりします。

選択の自由まで棄てちゃうなんてもったいないです。選ぶことは楽しいことで、選択肢が多いのは豊かさの表れです。なぜなら、それだけ私の気を魅く物事が多いということだからです。

旅行先の朝食や昼食のビュッフェで迷いますか? 私はほぼ迷わず欲しいもののところへ直行し、数回同じ物を取りに行きます。私が好みにうるさい人間で、食べたくもないものが豊富に用意されていても欲しいものはほんの少しで、選ぶ必要すらないからです。これは、ある意味貧しいことだと思っていましたが、自分の好みをはっきりさせ、欲しいものを選び取っているのだから、選択の自由を活かしていると言えそうです。

自分の人生に選択肢が多いということは、実際には「豊かさ」や「自由」を享受している証拠とも考えられます。現代社会では、選ぶことに疲れてしまう「決断疲れ」という現象もあるそうですが、視点を変えると、選ぶ自由こそが自分らしい生き方を実現する力になるとも言えるでしょう。

選択肢が多いことを楽しみ、自己表現の一部と考えれば、もっと自分らしく選ぼうと、「自分と向き合う事」にも繋がりそうです。



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