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自分を知ることは、自分を模ることなのだ。

問題と悩みはセットですか? そんなことはないと思いますが。悩む状態とは、きっと、「どうしたらいいんだろう?」 ですよね。違いますか? もしそうなら、きついですよね。答えがすぐに見つかればいいけど。

私から、その「どうしたらいいんだろう?」が、一切なくなったのです。その悩むような状態が問題のひとつだったように思えます。

今は、ひとつの問題が私から消えました。でも、まだ問題はあります。そういうときはあえて何もしません。

なぜなら、問題が来たら、解決せざるを得ないから。それだけのこと。

多くの場合、私には、解決を「しなきゃ」とか、どうやったら「解決できるか」を考える力がないのです。解決は自然に起こってくるのを待つしかないから悩みもないのです。

そして、答えが見つかったとき、それはもはや頭で考えたものではなく、体から教えてもらえる感覚。体が、動き出すんです。体が次に進む準備をしていたとでも言いたくなります。

私の問題というのは、行動できない状態を指しているんですよね。たとえ迷いながらでも行動するのなら、問題意識はありません。

もう少し深掘ると、「納得しているかしていないか」の問題なのです。なので、問題は乗り越える壁というより、ただ観察し、受け入れるためのステップです。

実は、これも、自己分析をして発見したんですが、私は、おそらく、十分に悩んだ経験がないのでしょう。私が感じていたのは「悩みごと」ではなく、「困りごと」ばかりでした。

考えてみれば、本来自分には問題でもないことが、世間では問題扱いされています。そのような中で行動するとき、何をどうすればいいのか見当もつかず、理解が難しく、「悩む」に至る以前の段階で、ただ困っていたという状態が続いていました。

悩む経験の薄い私が友達のお悩み話しに花を咲かせるわけがなく、次第に電話にも出なくなり、縁が途切れることも。それに、彼女たちの悩みは取るに足らないものだと感じていました。

たまに悩みを記入するように促されたとき、それらしきことを絞り出して書きました。実際には悩んでいなくても、まだそんな自分に気づいていなかったので。

友達や周りの人たちの悩んでる姿を見てたから、それを真似たことはありました。でも、とにかく嘘っぽい。自分じゃない。人恋しさに悩んでいるふりをしていたのかもしれない。

これからは、「悩みはないです」と答えられます。そして、「困っているだけです」と言えるので、相当な「楽」を感じることでしょう。

私にとって自己分析は、自分をかたどることでもあるのです。

ちなみに、私が「どうしたらいいんだろう?」の状態から解放されたのは、単に好きなことに没頭したからです。修道女気質が私の一部にある私にとって、それは大きくジャンプすることだったのですね。それで、その味を占めたので、元に戻らないのです。


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