共感してくれなくてもいい。#理解はしてほしいこと。
これに該当するものは何かあるだろうかと頭をうんうん捻ってみた。
掘り起こすように自分に向き合ってみた。
理解してほしいことの一番上にくるものは、やはり娘みーちゃんのことだろう。
みーちゃんは24歳になったが4歳の精神を持っている。
だいぶ言葉数も増えたが、理解できないことには無視を決め込む。
もしくはおうむ返し。
同じ言葉を言うだけだ。
9歳程度の知能があればなんとか生きていけると聞いたことがあるが、一生掛けてもそこまで成長はしまい。
また望んでいない。
意思疎通のできない、或いは知的障がいの人は必要ないと思われる方もいる。
人間だと勘定に入れてもらえない。
眉をひそめられ、遠巻きにされ、馬鹿にされる。
或いは存在していないかのように無視される。
生産性が無いから、世話を焼かせるだけだから。役立たずだから。
月千円の工賃を貰える作業所も少ない。
そうかなあ。
みーちゃんが死んでもそうでない人が死んでも等しく悲しむ人がいることには変わりはないんだけどな。
健常と障がいの差は実はそれほどではない。
あなたの代わりにこの子が背負ったのかもしれない。
そう考えると障がいを負った人が仏様のように見えないだろうか。
山根さんの呼びかけに応募致しました。
健常と障がいの子供をそれぞれ育ててきて今振り返ってみると、それほど変わりはなかったということです。
ただ大きく違うのは根気強さでしょうか。
何百回、何千回と言い続け、やってみせ、また同じことの繰り返しの中でようやっと一つのことが出来る娘を育てる中で、気の遠くなりそうな作業をする忍耐力を鍛えられたといっても過言ではありませんでした。
時には鬼にもなりましたし、心折れて逃げ出したくなる時もありました。
今は娘が生きていてよかった。
わたしも生きていてよかったと思います。
障がいを特別な目ではなく、誰にでも起こりうることだと思えばそれほど怖がることも毛嫌いすることも無くなるのではないかと思うのです。
同じ人間ですから。