アメリカの小学校の先生が大きな声で怒らなくても大丈夫な仕掛け
3年ぶりに日本に一時帰国していた時、保護者の中でこんな話題が広がっていました。
先生が生徒を叩いてしまった、と。
たまたまその現場をみていたお子さんに聞いてみると、
先生は何度も何度も注意をしていたとのこと。
先生は叩いてしまったことに対しては謝っていたとのこと。
保護者の批判の矛先は、
- 叩いてしまった先生か
もしくは
- 問題行動をやめなかった生徒さんに
向けられがちでしたが、
私は、その両方ともなんか違うんじゃないか、ともやもやしました。
というのも、
叩かざるを得ない状況がなぜつくられてしまったのか、
に疑問が向かったからです。
なぜこんな疑問を持つに至ったのか、
そして、アメリカの小学校で先生が怒鳴らなくてもいい仕掛けについてご紹介したいと思います。
叩く先生が悪いのか?怒られることをする生徒が悪いのか?に潜む落とし穴
私は、どんな場合であっても、大人が子供を叩くということはあってはいけないと思っています。
ただ、叩かざるを得ない状況まで追い込まれる状況が作られてしまうことには疑問を感じてしまいます。
その理由は、娘のアメリカの小学校を見ていると、先生が怒鳴ったり叩かないのは、もちろん、いろんなトレーニングや先生方の努力もありますが、そうしなくてもいい仕掛けがたくさんあるからだと感じているからです。
日本でもいろんな取り組みがされていると思いますが、
アメリカの多くの学校では仮に問題行動が見られたとしても、
その時のWarningの仕方が明確に学校として定められているのです。
なので、指示に従えない生徒さんがいる場合は、
怒鳴りをエスカレートする代わりに、
淡々と学校が提示しているWarningを順番に提示していくだけなので、
怒鳴る必要がないのです。
たまたま、今日、アメリカの娘の小学校の先生の方針が書かれた手紙を見たので、その一部をシェアしたいと思います。
アメリカの小学校で先生の言うことを聞かない生徒への対処法
先生の手紙にはこう書かれていました。
と、まずは先生が生徒に期待していることが明確に提示されます。
そして、それに従えなかった場合のConsequencesも明確に記されています。
つまり、言うことを聞けなかった結果どうなるかは以下の順番で以下のことを行います、と。
まずは、
-生徒が注意を受けます
それでも聞けなかったら
- 休み時間に先生と話し合い/もしくはチョイスタイム(※1)の喪失
それでもやめられなかったら
- 教室内のみんなと離れた場所で学習をし、内省する機会を与えること
それでもやめられなかったら
- 親の呼び出し
そして最後は
- 校長先生のオフィッスへ
先生や学年によって何をどの順番でするかは異なっていますが、以下は学校に入りたてのお子さんにも共通しているように感じます。
注意の仕方には段階があること
話し合いを通して生徒の困りごとの本当の理由を見つけようとすること
問題行動ではない方法で表現することはできないかについて話し合えること
問題行動を止めるチャンスが何度もあるということ
問題行動を続けるとどうなるかが明確にあること
問題行動という形で表現するということを選ぶも選ばないも、自分の責任という感覚を育んでいくこと
そのためにも、先生が期待することは何か、それはなぜか、そして、守れなかった場合、どうなるかなどいろんな方法で伝えられるのだと思います。
怒らなくてもいい仕掛けについては以下の記事にも書いていますのでよかったらご覧ください。
社会と学校のギャップを埋める仕組みの必要性
日本はこれまでこのような仕組みをつくる必要はなかったのかもしれないです。
大人/先生の言うことは尊重することという儒教的な考えがあったことや、生徒内の多様性があまり考慮にいれなくてもよかった状況があったことなどが考えられます。
ただ、子どもの発達に関する研究も進み、
また国際化も進む中、
社会はどんどん変わってきているように感じます。
そして、
暴言はいけないということ
叩くという方法はよくないということ
発達の特性に対応したサポートがあれば怒られなくても済むことがあることなど
を理解している子どもも増えていると思います。
そのような社会や子どもの変化に学校がどう対応していくか。
自分には何ができるか。
こんな方面からも考えてみるのもいいかと感じました。
お読みくださりありがとうございます!