2016年1月に『EX大衆』でインタビューさせていただいた新田恵利さん。おニャン子クラブ卒業35周年の記念日(9月26日)を前に貴重なその記事の一部をここに再掲載
以下、インタビュー。
「元々、アイドルになりたいなんて気持ちは全然なかったんです。『オールナイトフジの女子高生スペシャル』に出たのも優勝商品のハワイ旅行が欲しかったからだし、『夕ニャン』に出るって話も、あくまで番組のアシスタントとしてでしたから。ワタシとしては、ガラガラってワゴン運んだり、「宛先は~」とか話すだけだと思っていたので(笑)。
だから早々に喫煙事件が起きたときも、メンバーが減って、自分の番号が一番前になっても“ワタシががんばらなきゃ”とかの責任感かはまったくなかった。仲よしのなかじ(会員番号5番の中島美春)と地味派同士、どうしようかって感じで。
歌手としてデビューするってのも全然考えたことなかったです。(事前にインタビューさせていただいた、『夕ニャン』伝説のディレクターのK氏の「最初から全部決まってた」という話を伝えると)あら、大人は知ってたんですねえ(笑)。
デビュー曲の『セーラー服を脱がさないで』でフロントメンバーの4人に選ばれた理由は、後々から聞いたらワタシの声が個性的だったからみたい。歌詞が奇抜だったんで、ワタシの声なら「♪バージンじゃつまらない」とか歌ってもいやらしく聞こえないだろうって。いまならどってことない歌詞ですけど、当時は過激でしたからね。最初のうちはやっぱり母親の顔が見られなかったので。ワタシ、そんな子じゃないよって(笑)。ただ、2曲目の『およしになってねTEACHER』の頃にはもうそういう歌詞にも慣れちゃってましたけど……。
ソロ・デビュー(1986年1月1日)もね、本当はもっと早い予定だったんです。夏ぐらいにはその話があったんですけど(ちなみに曲は、1stアルバムに収録された、おニャン子初期の名曲として名高い『真赤な自転車』)、「もうこれ以上めだつのはイヤです!」って断ったんです。ワタシにとってのおニャン子はあくまでバイトの一環であって、本業じゃなかったんで。あ、もちろんバイト感覚でも責任感はありましたけど(笑)。
ただ、スタッフにはいっぱい迷惑かけましたね。あまりに周りから「新田はワガママ」って言われるんで、頭に来て、一番上の石田さん(番組プロデューサー。とんねるずの番組でもお馴染み)掴まえて、「ワタシのどこがワガママなんですか!?」って直談判したことも。そうしたら、「いや、お前のはワガママじゃないんだ。でも大人の世界には白黒はっきりしない部分もあるんだよ」って言われて、「なーんだ、ワタシ、ワガママじゃないじゃん。いやいや、子供には白か黒でしょ!」って。
ネットとかで有名なビキニ事件(聞かされてなかったビキニでの撮影を不服として一人、部屋に籠城。そこへ国生さゆりが乗り込んできて「アンタのせいでみんなの撮影が進まないのよ!」と一喝された事件)もね、ワタシは悪くはないと思いますけど(笑)、全体を見ればさゆりちゃんが正解なんですよね。そのときは個人で活動してたわけじゃないんで、それはそれ、これはこれっていうね。おニャン子を通していろいろ学びました……。
さゆりちゃんについてもね、テレビや取材では必ず新田派、国生派の派閥の話が出るんですけど、うーん、やっぱり合わないかな(笑)。当時からお互いに認めつつも合わない。水と油で、たとえるならドレッシングみたいな感じ。振れば混ざるんですけど、またすぐに分離しちゃう。だからみなさんに一生懸命振ってもらうということで。ハハハ。
でも、当時の思い出は、30年経ったいまとなってはいい思い出ばかりですね。ソロ・デビューする一週間前にお父さんが亡くなって、精神的に相当大変だった時期もあるんですけど、おニャン子にいた1年半は本当に貴重な思い出。一時はね、おニャン子の過去がイヤだった時期もあったんですけど、ピンク・レディーさんとかキャンディーズさんとか考えたときに、みんな一生ついてくるんだよなあって。そう気づいたときに「ああ、もうわかりました、墓石にもおニャン子って彫りましょうかあ!」ぐらいの気持ちになって。そのくらいの決意はしましたね。
生まれ変わってもおニャン子に入るか? いや、それはいいです(爆笑)。違う道がいい。その辺、やっぱり白か黒なんで。ワタシ、高校時代は彫金デザイナーになりたかったんですよ。でも、デザイナーになるためには材料費とかすっごくかかって、家も決して裕福じゃなかったんで諦めたんです。で、おニャン子に入ってたとき、学校でワタシだけ進路相談がなかったんですね。あれ? と思ってあとから先生に聞いたら「お前はそっちの道に進むんだろ」って。仮に先生に呼ばれてフツーに進路相談の話をしてたら、専門学校に行ってたかもしれない。その頃はおニャン子の仕事の貯金もそれなりにあったので(笑)。
あと、もし、あの頃に戻れるなら、最初に契約をきちんとしておくかな?(笑)。そうすればお金が全然違ってきますからね。当時のスタッフで船持ってる人もいますから。一度も招待してくれたことないんですけどね……」
↑彼女選曲のベスト盤。大ヒット・シングル満載の1枚
↑長年の我が宝物(河合その子のデビュー・アルバム『その子』の付録のおニャン子クラブ初期メンの下敷き)にサインしていただいた。宝物がさらなる宝物に!