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飯塚事件⑥~最後まで否認を貫き、よけいなことは一切話さなかった元死刑囚。その彼に、いま、自分が聞きたいこと。その1

死刑執行に至るまで、終始否認を貫いた久間元死刑囚。そうして、よけいなことは一切喋らなかった久間元死刑囚。彼なりの思惑があったのだろうが、やはり、所々は話してほしかった。なぜなら、それにより世論(要は、彼を信ずる層)が微妙に変わった可能性は十分にあるからだ。

筆者のような、どちらかと言うと思考が左寄り、現行犯でない限りは冤罪も十分視野に入れて考えたい人間は、まあ、少なからずいるはず。

たとえば、問題の現場に一時間ほどしかいない中で否認を続けた(いや、続けている)カレー事件のかの方と違い、久間元死刑囚は、いくつかの目撃証言やアリバイに関して発言する事項、局面があった。が、結局、彼はそれを生かさなかった。

いま、自分の中で話を聞きたいことのひとつは、アリバイのうえで話した「自宅に帰る途中に寄ったパチンコ屋」について。彼はパチンコがかなり好きだったらしく、なんらかの具体的な話が聞きたかった。

店ではどのあたりの席に座り、なんの台を打ったか。計何台打ったか。金はどのくらい使ったか。自販で飲み物は買ったか。何回大当りしたか。店は混んでいたか。隣や近くにどんな客がいたか。隣は出ていたか(書いてて、尾崎の『シェリー』を想起)。それらを話すだけで、かなりの説得力になる。自分のように、当時パチンコにハマッていた人間(自分は『スーパーゴルフ』や『バレリーナ』が好きだった。『たぬ吉くん』や『フィーバーパワフル』は1992年後半からか。1992年時のわが国のパチンコはセブン台に限らず百花繚乱、その人気はまだまだ凄まじいものがあった)にはなおさらだ。

滞在時間を踏まえると、そう勝てたようには思えないが(座ってすぐに当たったら別)、負けたら負けたで話をするのが好きなのがパチンカー。

元死刑囚は、なぜ、アリバイになるパチンコ屋の詳しい話をしなかったのか。



答えはひとつしかない。







行ってないから。


おそらく、おそらく、そうなんだろう。馴染みの店であっても、テキトーなこと言って、万が一、新台入れ替えで台が替わっていたら、エラいことになる。それがパチンコ界。


なお、先だって、知り合いの編集者から「なんで、急に飯塚事件に凝り始めたの?」と聞かれた。「例の映画の内容も、織田さん、正直あんまり興味なさそうだけど」と。

うむ。実は、それにはひとつ理由がある。が、今回はやめておこう。それについてはあらためて、書くことにしよう。

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