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グラドルに関する一般教養シリーズ。小池栄子さんがブレイクしたのは何年のことだったか、アナタは答えられるか?

織田祐二 小池栄子さんがブレイクした年って何年か言える?
相方(アラサー)   1999年にイメージビデオや写真集をリリースし始めているので、1999年ですかね
織田   各媒体のグラドル史特集の文章や年表を見ると、それを踏まえてブレイクしたということになってることが多々ですが、実は厳密にはそうじゃないんですね
相方   そうなんですか
織田   たとえば、盟友のサトエリさんは1998年に第1回の日テレジェニックに選ばれていて、華々しくシーンに躍り出ましたが、1999年の小池さんは決してはでやかな存在ではなかった
相方   あくまで有望な一新人グラドルみたいな?
織田   そんな感じ。小池さんのブレイクを1999年と規定した媒体や企画は、wikiを見て、深く考えずに書いたものと見なしてしまう(苦笑)
相方   日テレジェニックでいうと、1999年は酒井若菜さんが選ばれていますね。いまの感覚から考えると、1980年生まれの巨乳ツートップが誕生してもよさそうな気もしますが
織田   いまの基準で考えると、ですね。確かに、“選ばれた一人の子”の代わりに小池さんが選ばれてもよかった(笑)。結果的に、酒井さんはグラビアへの興味がどんどん減じていって、それと入れ代わるように、小池さんがグラビアに開眼していく
相方   当初、小池さんはグラビアに乗り気じゃなかったというのは、知る人ぞ知る話で
織田   女優志望でしたからね。自分が彼女に最初に取材したのは2000年の終盤、彼女が出演していた関西のバラエティ番組『BAT Corp.』絡みなんですが、その表情はどこか硬く、暗い感じで

彼女が表紙の『ファイヤー』(宝島社)2000年秋号。表情がその後の彼女らしくない


相方   とはいえ、表紙仕事は最初からそれなりにこなしてはいたんですよね
織田   『週刊現代』とか『別冊アサヒ芸能』とか。ただ、肝心の『宝島』では務めていない
相方   肝心の(笑)。当時の『宝島』の表紙はブレイクグラドルの登竜門的な仕事でしたか。なるほど、調べてみたら、『宝島』が『週刊宝島』になって、何度か表紙飾ってますね
織田   要はそういうこと。2000年の中盤ぐらいから、グラビアの表情に柔和さが出てくる
相方   じゃあ、小池さんのブレイク年は2000年ということで?
織田   いや、2000年でもない
相方   違うんですか(笑)
織田   2000年のイエキャブの一番のブレイクは川村亜紀さん。『ヤンマガ』で何度も表紙飾ったほか、男性誌の表紙を席巻した

以上、2000年の川村亜紀さん
の表紙仕事の数々。圧巻!


相方   こうして見ると、2000年の川村さんの活躍はハンパないですね
織田   当時、企画をスタートさせた『グラドル番付』の第1回の正横綱が眞鍋かをりさんと彼女。そういや、デビュー直後のMEGUMIさんがグラビアにおけるポーズや表情の目標に挙げた先輩は、サトエリさんでも小池さんでもなく川村さんだった
相方   じゃあ、小池さんのブレイクはその後の……
織田   2001年が正しい。あの年の1月?  か2月に『めちゃ×2イケてるッ!』の伝説のめちゃイケプロレス企画に小池さんが登場して、ビキニ姿で躍動し、存在感を存分に発揮。自分はすぐに井川遥さんに対抗の横綱として、番付に名前を記したんですね。で、その番付表のコピーが思いのほか、その直後のテレビ局やメディアに流布、浸透したようで
相方   会議などで、新顔の人選、起用のうえで参考の好材料になったという……?  いや、本当の話なんですよね(苦笑)
織田   後々、イエキャブのスタッフから漏れ伝わってきた話
相方   織田氏が各メディアにコピーを送りまくった?(笑)
織田   小池さん推しで?   やらないやらない。やったなら事務所関係でしょう。案外、井川さんの事務所じゃ……
相方   絶対違いますよね
織田   大ブレイク中の井川さんの対抗馬という位置付けがわかりやすかったらしい
相方   グラドルに疎い人間からすると、確かに……
織田   のちに野田会長(当時)と話した際、さすがに「君の番付表のおかげ」とは言われなかったですが(笑)、2001年のあの時期、井川さんとのライバル的なポジションを得たことにより、小池さんの展開、動き方が明確になったみたいなことには同意してもらえた
相方   井川さんの癒し系に対抗して、小池さんは威圧系などとも呼ばれたんですよね
織田   あんまり浸透はしなかったですが

2001年夏に大ヒットを記録した『月刊小池栄子』


相方   2001年に小池さんは、写真集5冊、イメージビデオを5作リリースしています
織田   まさにブレイクですね。当初からそれなりに活躍しつつも、なかなかひとつの壁を越えられず、そんな中、一本足打法で劇的に進化。シーズン4年目に二冠王に輝いた王貞治みたいな感じですかね
相方   例えがちょっとオーバーな感も(苦笑)
織田   それじゃあ、1年目からしっかり高打率かつ2桁本塁打を打ち、4年目に3割30発を記録した阿部慎之助を思わせる……
相方   もういいです(笑)。ちなみに調べたら、阿部は彼女がブレイクした2001年にプロ・デビューなんですね
織田   あ、そうだったか。これを機に憶えておきます(笑)

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