自分が愛してやまないラーメン屋に関する、ほかとはちょっと違う切り口での話①〜六本木『天鳳』
末端ながらもライターという仕事を25年以上やってきて、経験的に自慢というか、特筆したいものがいくつかあるわけだが、その一つが、六本木にある北海道ラーメンの老舗『天鳳』の取材をしたことだ。
「『天鳳』を取材しただって?」と驚く人は多いだろう。あの店に魅せられた人はむろん、一度でも足を運んだことがある人なら、取材がしにくそうな雰囲気であることが理解していただけると思う。取材がしにくそうというのは、ひとえに店主の独特のたたずまいやオーラによるものだが(苦笑)、実際、20年以上この店をメディアが取り上げた例を自分は知らない。間違いなく、取材NGのスタンスをとっていると思われる。
自分が取材をしたのは1995年のこと。1996年かもしれないが、まあ、そのへんの時期。懇意にしていた編プロから仕事をいただき、媒体は確か『東京ウォーカー』(KADOKAWA)だったと思う。
当時、すでに駆け出しのアイドルライターなるものを始めていたが(パンク雑誌でもインタビュー仕事やっていた)、まだまだ余裕で食える状況ではなく、飲食店の取材仕事も可能な限り、受けていた。ライターの方ならご存知のとおり、飲食店取材は非常に面倒で(日に5、6店舗回ることも)、ギャラも安くなりがちで、新人といえどマメにはやりたくないのだが(むろん、飲食に関心が強いゆえ、苦にならないライターもいるだろう)、背に腹は変えられず、できる範囲で引き受けていた。
その取材の際の模様を記したものがコレ。2015年夏に『食べログ』に投稿したもの(笑)。「ライターならあらためて新原稿で書けよ!」という声も聞こえそうだが、読み返してみて、まあ、フツーにノリよく書けているので、それを掲載することにする。
あらためて、振り返ってみて、よく取材ができたなと。あの時分までは取材OKだったのだろうか。のわりに「取材したことがある」というライターや編集者の話はまったく聞こえてこない。
たまたま、編集部(編プロならぬKADOKAWAの編集部本体?)が電話したらOKが出て、回りまわって自分が行かされることになったということか。そうして、結果的に場は険悪な雰囲気と化し、以後、店主的に取材はNGになったという……?(苦笑)。うーん、それは考えすぎか。
かつて、イメージDVD30枚リリースしたレジェンド級グラドルの伊藤えみさんもイチオシの一杯。
同店の取材の歴史。店主に聞けば一発でわかるはずだが、当然行ってもそんな軽々に聞ける雰囲気ではない。「自分も取材したことある」というライターや編集者がいれば、ぜひ話を聞いてみたい。
この原稿でこの店を初めて知った人はそういないと思うが、「ラーメン自体についてもっと知りたい」方は『食べログ』参照でよろしくお願いいたします。