あみんに思い入れなど微塵もなかった昭和44年男が、彼女らについて、年末に感傷に耽った勢いでもってちょっと語ってみる
相方 最近、新中野の某飲み屋のラジカセDJとしてやたら流してるのがあみんという(笑)
織田 いいよね。『待つわ』『琥珀色の想い出』『コーヒーはきらい』……、いい曲がいっぱい
相方 なんでまた、あみんなんですか?
織田 なんでまたって、自分は昭和44年生まれで彼女らがデビューしてブレイクしたのが中学1年のとき。バリバリのあみん世代ですから
相方 とはいえ、たまに当時の話をしても、横浜銀蝿とか、聖子や明菜やキョンキョンあたりのアイドルに関する話しか聞いたことないような?
織田 うむ、まあね。やっぱり、最近になってハマり始めたというのは否めない。ラジカセDJとして、『待つわ』や『琥珀色の想い出』を何度となくかけてるうちに、んん? いや、こりゃかなりよくねえか? と。昭和の大名曲を飛び越えて、もろ織田祐二好みの泣きメロづくめのサウンドじゃないかというね
相方 飲み仲間にしてアナタの1歳上、元体操日本代表候補だったAさんの影響も?(笑)
織田 Aさんね。彼は大の歌謡曲通にして、芸能界通であって
相方 彼は現在、防犯カメラ関連のスペシャリストとして仕事をしていて。聞けば、あの大惨事が起こった京都アニメーションの建物にカメラを取り付けたのも彼だったという
織田 たまたまですがね。まあ、今回はそのへんの話はいいとして、あみんの話を
相方 自分はよくわからないので、そちらで主導を(笑)
織田 まあ、『待つわ』は世紀の大ヒット曲ですよね。なんといっても、1982年に一番売れた曲ですから。あの年、聖子よりも薬師丸ひろ子よりも岩崎宏美よりも売れた楽曲……
相方 自分は当時を知らないんですが、テレビやラジオではかからない日はない感じ?
織田 そうだったと思う。ただ、クラスの友達とあみんについて話をした記憶はまったくないんですね。自分も周りも田舎の中1からしたら、彼女らのよさがあんまり理解できなかったというのが正直なところだったような
相方 ビジュアル的な意味でも
織田 アイドル全盛の時代ですからね。キャラ的にヒキが弱かったのは否めない。特に加藤さんの地味さとか
相方 彼女、歌唱はピカイチですよね。でもまあ、中1なら、そういう受けとめ方は仕方ない
織田 あらためて、『コーヒーはきらい』(加藤晴子のソロ)の彼女の歌声を聴いて仰天した。この艶ありまくりのヴォーカルはなんなんだ? と
相方 当時の思い出は完全に皆無?
織田 いや、あみんというか、類するものが一つだけあって。自分は親の離婚の事情で小学校卒業と同時に引っ越し、転校を余儀なくされるんだけど、引っ越し先がけっこうな田舎町で
相方 夕張郡の栗山町ですね。最近では名誉町民的な栗山英樹監督や、お笑いタレントのバービーの出身地として知られる……、まあ、知る人ぞ知る北海道の町ですね
織田 結果的に自分はバービーや、グラドルで人気を博した平田裕香らの中学の先輩にあたることになる
相方 時系列的には、アナタが中学2年のときに彼女らが生まれていますね
織田 その田舎の中学に対して、自分はなんか違和感あるというか、馴染めなくてね。田舎の中学校といっても各学年5クラスはあって、生徒数はしっかりいる学校だったんだけど
相方 『北の国から』でイメージするような小さな学校とは違う
織田 そんな中で、衝撃を覚えたのが中1の学校祭での企画ライブだったんですね。ライブといっても、演奏なんかはなくて、いまにして思えば単なるカラオケステージだったと思うんですが、体育館での大音量ステージは、コンサートやライブなど未体験の自分にはインパクトありすぎたという。その一番手が、1コ上の中学2年の女子2人が歌う『待つわ』。記憶はややあやふやですが、しっかりハモッていて、田舎の中学生にこんな芸当ができるんだ? とショックすら覚えた
相方 かなり大袈裟のような(笑)
織田 いや、本当に衝撃だった。あのときの2人に会って、面と向かって賞賛を送りたいぐらい(笑)
相方 ラジカセDJとして彼女らの曲をかけながら、そんな記憶が不意に甦ってきたわけですね
織田 そう。うーん、案外、あのとき歌った2人は本物のあみんだったんじゃないかしら?
相方 それはないです(笑)
織田 今回、あらためて彼女らを調べて、デビュー2年目の1983年暮れにあっさり解散していたことを初めて知った(苦笑)
相方 岡村さんは1985年にソロ・デビューしてますね
織田 カバーアルバムの2ndアルバムはイマイチですが、岡村さんのオリジナルと他の作曲家の楽曲が絶妙に配された1stアルバムは傑作と評するしかない
相方 確かに聴き応え十分の内容
織田 未聴の人はこの機会にぜひ聴いていただきたい