90年代半ば、30代前半の松っちゃんは完全なる男前のモテ男だった! という認識をいまだ持ち続けている自分は邪道なのか
冷静な分析、考察で大きな話題を呼んでいる大島育宙(やすおき)氏の松本人志論シリーズ動画。どれもとても興味深い内容。「数撃ちゃいいだろう」的な凡百のエセ時事系YouTuber動画とは、明らかに内容の密度、信頼性が異なり、完全に優っている。
「X(ツイッター)の使い方が間違っている。それを誰か教えてあげる人がいないというのも……」「1人での真面目な記者会見は無理」などといった考察は、なるほど確かにと首肯できる。騒動後になされた例のポスト群については、自分も腑に落ちないものを感じていた。
ただ、当然、すべてに対して同意というわけではない。シリーズ動画を(順不同で)見ていき、一切忖度なしの鋭い考証の数々に同意同感の箇所が多々ある中、「んん?」という部分もある。
その一つが、90年代の松っちゃんのベストセラー本『遺書』から彼が感じるという違和感──「モテキャラ」アピールについて。
自分は当時、ダウンタウン・ジェネレーションとして当然その書を読み、かなりやられたクチ。多大な感銘を覚え、影響を受けた。ただ、その書はもう長いこと手元になく、読み返していない。内容は忘れている。そんなにモテキャラアピールがなされていたっけ? とも思うが、彼が言うならそうなのだろう。
で、本稿の本題に入るとして、ダウンタウンより6歳年下の自分は、当時、松っちゃんをまごうなきイケメンの男前(イケメンはちょっと違うか)として見ていたのだった。まだ坊主になる前で、時期的には1993年から1998年ぐらいまで。
1993年頃(一時期?)の松っちゃんは上下濃いグリーンのアーミーもの(トレーナーは黒だったか)で固め、そのオイ・パンク的なファッションがとてもかっこよく目に映った。自分はすぐに原宿のアーミーファッション店『東京ファントム』に行き、松っちゃん風の上下を買い揃えた。
その後、例のネクタイをスラックスに入れるこだわりはクルものがなかったが(フリートークで時折、浜ちゃんから発せられる「入れてるねえ」はツボだった)、無二な松っちゃんらしいと首肯けた。
1998年末に常盤貴子さんとフライデーされたときが自分の中のピークだったか。あの黒のニット帽にヒゲ面の風貌、アディダスの黒ジャージはとてもかっこよく思えた。これぞ、モテ男の真骨頂に相違ないと。
あの頃、自分の周りの松っちゃん好きの男はどう感じていたのか。そういった、かっこいいかっこわるいの類の話をした記憶がまるでない。案外、かっこよく感じていたのは自分だけだったか。
1992年生まれの大島氏には理解しづらいかもしれないが、あの時期の松っちゃんはかっこいいモテキャラだった……というのは、本稿の限りあまり説得力がないかもだが、いま、50代の人間なら、「まあ、アナタの言わんとしてることはわかるよ」と同意してくれるんじゃないか。なにしろ、あの頃の松っちゃんは30代前半。肌もまだツヤツヤしていたし、皺もなかった。一方でまだ筋肉ムキムキではなく、お腹はプニョプニョ(浜ちゃんいわく。これもツボだった)だった。
大島氏に言わせれば、「モテアピールのウザさが目にあまる」ということになるのだろうが、少なくとも当時『遺書』を読んで、その点で違和感を抱いた読者はそれほどいなかったんじゃないか(あくまで当時の受け止め方)。
歴史においては振り返りの検証も大事。だが、リアルタイムでの反応もムゲにしてはいけない。
あらためて振り返ってみて、当時一時期でも、松っちゃんを殊更男前に感じ、希代のモテキャラと認識していた自分はけっこうな邪道だったのかしら……。もうどうでもいいことだが。
終わり。