我が思い出のグラビアアイドル、三浦直子 その2
先だって、渋谷の109前の街撮り取材(街のストリートで素人の女の子に声をかけ写真を撮らせてもらう取材)したその子が、思いきりテレビに出ているのを見て自分は驚いた。ちょっと頭の中が混乱したと言っても言い過ぎではない。「アイドルと言えば、どこか事務所に所属しているもの。そういう子が雑誌の素人ページに出てくれるとは、これいかに?」。実は彼女に書いてもらったアンケート用紙には、彼女のケータイの番号も書いてあり、そのあたりもけっこうな驚きと言えた。
ただし、すぐに電話はしなかった。なぜなら電話をしたがゆえ「すいません、やっぱり事務所の許可がおりなくて……」みたいな回答の事態を想定したから。彼女には自分の名刺を渡しており、向こうからなにか言ってきたならともかく、街撮りページ第1回の目玉的存在として、彼女の写真は使いたかった。誌面を見た読者的にも、“なんで、テレビに出ている(らしい)女の子がフツーにこういう素人ページに出てるんだ?”といった驚きや不思議さがあるはずでその線を狙いたかった。
数週間後、結局、そのまま雑誌に出た。そうして、そこから自分がとった行動は彼女に電話をかけることだった。自分はその雑誌(『Dr.ピカソ』というバウハウス刊の月刊誌)で新人アイドルのインタビューページも担当しており、次はそこに出ていただこうという魂胆だった。
ケータイの番号を押しながら、一瞬、ひょっとしたらウソの番号かもしれないなと思ったりもしたものの、あっさり彼女は出た。
「あ、三浦さんですか。この前、渋谷で撮らせていただいたライターなんですけど……」
「ああ、ああ」
「雑誌見ました?」
「見ました……」
「三浦さんって事務所に入ってるんですよね」
「入ってます」
「もしかして、事務所からなんか言われたとか……?」
「いや、大丈夫です」
「ああ、よかった。えーと、実はですね。あの雑誌で自分、アイドルのインタビューページもやっていてですね。次はそちらに出ていただきたいなあと。そのページでは、今月、嘉門洋子さんに出てもらうことが決まっていまして……」
話は前後するが、彼女が出ている『BiKiNi』(テレビ東京系)をあれから毎週2回3回と見ていくうちに、自分は完全にその内容にハマってしまっていた。雛形あきこがMCで、山田まりや、嘉門洋子、柳明日香、吉田里深らイキのいい新人グラビアアイドルが大挙出演するその番組はとにかく新鮮で、見応えがあった。コギャル全盛の時流ゆえ、彼女のようなギャルの資質を持つグラドルにはストリートに出ての企画を任せるとか(タレントと知らずにナンパしてくる男に対し、どんな対応をするかなどのガチンコ&ドッキリ風企画が印象深い)、従来のアイドルのイメージから逸脱した柔軟性に富んでいた。
そういうタイミングで嘉門洋子の事務所から「取材をお願いしたい」という話をもらっており、一方で自分が関わっていた他誌のほうでもいくつか番組関連の取材が決まりつつあった。『Dr.ピカソ』の編集部的にも「話題の番組だから、可能な限り出演の女の子には取材お願いしましょう」という機運が高まっていて、自分にとってはいい案配の流れが生まれつつあった。
彼女から所属事務所、電話番号、担当マネージャーの名前などを聞き、すぐに事務所に電話をし交渉。彼女が誌面に載った(というか、自分が勝手に載せた)件は特に咎められることもなく、話はスムーズに進み、難なく取材日程は決まったのだった。(つづく)
↑『ワッフル』(ぶんか社)1999年8月号。三浦直子グラビア掲載号
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