自分にとっての「日本のザ・ビートルズ」。それは、なんといっても、T.C.R.横浜銀蝿R.S.に尽きる! その理由を思うままに挙げてみる
こんなツイートを発見した。演出家にしてミュージシャンのケラリーノ・サンドロヴィッチ氏のもの。
氏の意見に異論はないが、自分的にもう一つのバンドを加えたい。それは、T.C.R横浜銀蝿R.S。
あ、たぶんいまの人は大半知らないと思うが、通称「横浜銀蝿」の正式名称は「ザ・クレイジー・ライダー横浜銀蝿ローリング・スペシャル」。「シングルやアルバムのランキングに加え、名前の長さでも一番になりたい」と、つけられた名前。ただし、リアルタイムの当時でも正式名称で呼ぶ人は皆無だったはずだが。本稿でも以下、便宜上、通称の名前で書いていくことにする。
簡単に、自分が横浜銀蝿に魅せられた経緯を記すと、1981年の小6の春に遡る。自分が最初に聴いたのは2枚目のシングル『ツッパリHigh School Rock'n Roll (登校編)』。ただ、そのときは「変なグループだなあ」ぐらいにしか思わず、決定的だったのが、3枚目の『羯徒毘璐薫'狼琉』(かっとびロックンロール)だった。ただただ、かっこいい。メロディーとサウンドがすばらしい。特に「♪いかすロックンロール聴きながら」のメロディーラインがガツンと衝撃的で(作曲はリードギターのJhonny)、小6の田舎の坊主ながら、”こんな曲を生み出せるなんて凄い、天才じゃないかしら“などと感心した。
同時期に、親友2人も反応し、一緒にサングラスを買い求め、ホウキをギターに擬してのバンドごっこを始めたりもした。当時はシャネルズ(ラッツ&スター)がクラス男女双方に大人気で、横浜銀蝿派の我々3人はかなり劣勢だったが、休み時間や放課後、数か月にいっぺんおこなわれるクラスのお楽しみ会などで我々のようになりきって歌う者はおらず(シャネルズをやるなら黒塗りは絶対の暗黙の雰囲気で、さすがにそれに挑む者はいなかった?)、継続は力の論理で自然に我々の行動が認められていった。
そんなわけで、小6から中学にかけて、彼らのサウンドに夢中になった。親の離婚により転校を余儀なくされ、銀蝿ごっこや銀蝿トークはいったん収束したりもしたが、新しい学校でも銀蝿好きは当然おり、彼らのおかげで友達ができたりもしたーー。
まあ、昔の話はそれぐらいにして、いまでも時折聴く彼らのサウンド(とりわけ、3枚目のアルバムの『仏恥義理蹉蝿怒(ぶっちぎりさあど)の出来は見事。至高のロックンロール・サウンドとしてはむろん、楽曲の圧倒的なバラエティ性における、文字どおりパーフェクトな作り。日本ロックの名盤の一つと呼んで過言じゃないと信ずる)、およびその存在が、なぜ、「日本のザ・ビートルズ」に値すると思うのか? その理由をーー主に両者の共通項を探りつつーー思うままに挙げながら記していきたい。
①どちらも4人バンドで、ギター✕2、ベース、ドラムスと布陣が同じ
これは、はっぴいえんども同じ。
②4人全員作詞作曲ができ、リード・ヴォーカルで歌える
これは、たまも同じだが、自分の中の根拠としてかなり大きなもの。メンバー全員それができるバンドって、古今東西そうあるものでなく、銀蝿の場合、特に作詞作曲面(曲数。ただし、本稿では80年代のメンバー4人揃った第1期に限る)において実力が拮抗しているのが特徴的。
③どちらも昆虫の名前
説明不要。
④どちらも港で有名な大都市出身
周知のようにザ・ビートルズはイギリスのリブァプール。横浜銀蝿はその名のとおり、横浜(全員そうかは不明)。
⑤ロックンロールからの多大なる影響
説明不要。
⑥歌詞の基本は男女の恋愛感情、心の機微について
むろん、全部ではないが、ザ・ビートルズなら「You」と「I」、横浜銀蝿なら「お前」と「オイラ」の関係性を基にした歌詞の世界が(主題の一つとして)頭に浮かぶ。
⑦若くしてメジャー・デビュー。そして、一気にトップ・シーンに駆け上がる
デビュー時、ザ・ビートルズの平均年齢は20.5歳、横浜銀蝿は22歳。ともにデビュー曲は中ヒットで、2ndシングルで大ブレイクする。
ザ・ビートルズ/1st『ラヴ・ミー・ドゥ』、2nd『プリーズ・プリーズ・ミー』
横浜銀蝿/1st『横須賀Baby』、2nd『ツッパリHigh School Rock'n Roll (登校編)
⑧どちらも後進のサポートに力を入れる
ザ・ビートルズはレーベル「アップル・レコード」を設立し、多くのバンド、アーティストをバックアップ。銀蝿は「銀蝿一家」と称し、嶋大輔、紅麗威甦(グリース)、岩井小百合らを世に送り出す。
⑨早くからほかの歌手へ楽曲提供
横浜銀蝿はデビュー1年目で、西城秀樹のシングル『セクシー・ガール』を担当(銀蝿名義だが、実質は翔の楽曲)。以後、三原順子(TAKU)、中森明菜(翔、TAKU)、白石麻子(おニャン子クラブのニャンギラス名義)(TAKU)など人気歌手に様々な曲を提供している。ザ・ビートルズもピーター&ゴードンの全米No.1ヒット『愛なき世界』(ポールの楽曲)始め、楽曲提供は数知れず。
⑩4人揃ってのサングラス姿が映える
個人的に、ザ・ビートルズはシングル『ペーパーバック・ライター/レイン』、アルバム『リボルバー』の頃のヴィジュアルが好き。
以上。あらためてこうして振り返り、対比させてみて、自分の中での「日本のザ・ビートルズ=横浜銀蝿」の位置づけに、ブレはまったく生じることはなく。やはり、彼らは凄い!
この稿、ほんとはもっと早く書ければよかったのだが……。先日亡くなられた横浜銀蝿リーダーの嵐さんのご冥福を、当時の我が思い出の感謝とともに心からお祈りいたします。
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