日航機123便墜落事故(事件)⑧〜インシデントから墜落までの32分間、恐怖と絶望に晒されることになったはずの同機だが、そんな中、当時の報道で奇妙な内容のものを発見。これが意味するものとは?
123便事故を検証し語るうえで、最も重要な証拠資料と呼べるのが、あのボイスレコーダー。最悪の事態を回避すべく、クルー3人が必死に操縦を試みる様が収められたものであり、特に終盤の悲痛なやりとりは何度聴いてもやりきれない。
その一方であの内容は、運輸省(当時)管轄の事故調査委員会の判断によって、一部(かなり?)改ざんされたものであるのは大方周知の事実で、意図的な割愛に加え、前後の脈絡を無視したコラージュの疑いも拭えず、完全な形での公開が望まれている。それを求めて、一部遺族側が訴訟を続けている実情も知る人ぞ知る話といえるだろう。
あの事故が、一部の人間の間で陰謀論的に疑惑の視点で解釈、検証され続けるのは、ひとえにそういった実態があるからにほかならない。生のそれが公開されればすべてが一件落着……かはともかく、未曾有の歴史的大惨事ゆえ開示を求める人達、少なくとも、遺族の要望には応えてしかるべきだろう(いや、キレイゴト言うのはよそう。自分が聴きたい。そうして、公開されれば一波乱起こるのは間違いない)。
そのボイスレコーダーーー現在まで出回り、YouTubeでもフツーにガンガン聴くことのできるーーは、2000年にアチラ側の人間によるリークという形で初めて世に出たもの。ただ、実は事故当時からその概要は事故調査委員会を通して一部メディアには伝えられており、大手紙地方紙、さらには週刊誌などで報じられてきた。
これもそのひとつ。*ネットより拝借。
『埼玉新聞』1985年8月30日付の記事。8月27日に事故調査委員会の第1次調査経過の発表があり、その取材を経ての内容だ。
機長が、必死に操縦する相棒の副操縦士に向けて言ったとされる「お前、いい男だなあ」。現ボイスレコーダーではカットされた伝説の文言。同記事にあるように、当初はかなり厳しい口調交え指示を与えた機長であり、その後、相手をリラックスさせ労う意味を込めて言ったとされるが(機長と副操縦士は10歳差)、自分がなにより驚いたのが、コクピット内の雰囲気において「声が上ずり、絶叫に近い」形で一転したのが、18時55分4秒からという点。
なぜなら機が墜落したのは18時56分26秒であり、それを考えるとコクピット内の緊迫した時間はわずか1分20秒ほどになってしまうから。
インシデント直後のしばらくはともかく、後半のいっとき、機は実は比較的(あくまで比較的)安定して飛行していたという見方もあり(どういう飛び方をしたかを記録したフライトレコーダーを見るとわかる)、自分はその説をとる立場だが、さすがに「ラスト1分20秒まで安定していた」というのは思ってもみなかったこと(副操縦士の「フラップ10」の発言は、現ボイスレコーダーにほぼ同じ時間帯で聞かれる)。この記事内容がなにを意味するのか、さすがに地方紙といえど、事故調査委員会の報告になかったものを載せるとは思われず、意味深長かつ興味深い。
最終的に事故調査委員会が事故原因の結論を述べるのは2年後の1987年。現在に至るお馴染みの「インシデント後、機は最後までほぼアンコントローラブルだった」いう主旨のものだが、「コクピット内の緊迫時間はラスト1分20秒」からそのように大きく異なる内容に変わった理由を考えるに……。「機内に急減圧がずっと続いた」という無理くりな事故原因に加え、ボイスレコーダーの改ざん作業の完成という経緯が挙げられるのではないか???
その背景には、事故調査開始後早々、事故調査委員会の会長が急遽交代するという流れがあり(心身上の理由によるものだが、こういう場合のそれはどうしても穿った見方をしてしまう。辞任した氏はその後、通産省や文部省などの重要な職務につくことになる)、それを踏まえると、なにかが見てくるような気がしないでもない。
我が結論。同紙と同じ論調の当時の新聞や雑誌の記事がほかにもあれば、読んでみたい。