ソフト・ロック界の偉大なるレジェンド・バンド、ハーパース・ビザール。彼らのサウンドetcに接して、3度驚かされた話
“ソフト・ロック界のレジェンド・バンド”ハーパース・ビザールを初めて聴いたのは、1994年ぐらいだったか。ある日、彼らの1stアルバムのCD『フィーリン・グルーヴィー』(1967年作品の日本初CD化モノ。ヘッダーの画像。帯がよい!)を、友人だったナリオ君(現・映像監督、映画監督。ニューロティカの映画『あっちゃん』は彼が監督)が半ば興奮気味に部屋に持ってきた。
「ユウ君、 フリッパーズ・ギターの原点、発見したよ! 聴いてみてよ!」
一聴して、驚嘆、感動、納得。めちゃめちゃ気に入って、すぐに自分も買い求めた。なんだかんだ、どっぷりハマッたのはこの1stだけだったが、長らく聴き続けた(いまもたまに聴きたくなる。最近は1st以外も聴きたくなる)。
そうして、かなりの時間を経て、彼らの演奏する姿を初めてYouTubeでもって観た。2011年の暮れだったか、2012年の始めだったか、夜中、中野のバーで飲んでいたら無性に彼らを聴きたくなり、ネットで探した。厳密に言えば、自分はネットに疎いので(現在は多少はマシになった)、洋楽好きの韓国人の女の子店員に店のノートパソコンで探してもらい、見つけた。
「コレデスカネ? 」「ああ、それそれ」「アップサレタバカリミタイデス」「そうなん? 相当昔の曲だけどね。ん? 12月11日(下の動画。アップ日は2011年12月11日)ってオレの誕生日じゃん」「アー、ソウナンデスネ」とあいなった。
ただ、観始めて、驚いた。“ヴォーカルって、こんなナヨった動きで歌うんだ。まるでいまブレイク中の楽しんごのよう……”。初めて知って、戸惑った。彼女も「キョクハ、イーデスケド、ウタイカタ、ヘンデス」と苦笑い気味(軍隊の硬派男に慣れている彼女にしたら、よけいに奇異な感慨を抱いた様子)。
自分の中で彼らの印象が微妙に、いや、大きく変わってしまった一件。だが、それからしばらくして、自分はさらに驚かされることになる。
ある夜、西荻のロックバーで飲んでいたら、馴染みのロック好きの客とたまたま彼らの話になり、例のしんご、ならぬテッド・テンプルマンなる男は、ロック界を代表する大物プロデューサーに君臨していた事実を知ったのだ。
プロデューサーとして関わったバンド、シンガーは、ドゥービー・ブラザーズ、モントローズ、ヴァン・モリソン、リトル・フィート、ヴァン・ヘイレン、エリック・クラプトン、エアロスミス……。男っぽさ満点の硬派揃いで、ナヨりのナの字もなし。
特にヴァン・ヘイレンの初期の何枚かは、
10代から20代にかけてそこそこ熱心に聴いたクチなので仰天した。マジで、同姓同名とかじゃなくって?(苦笑)。頭の中で両者を結びつけることがしばらくできずにいた。
さらに時を経て2022年、しんご、もといテッド・テンプルマンの華麗なる音楽人生を綴ったノンフィクション本『プラチナ・ディスクはいかにして生まれたのか』がリリースされた。周知の事実と知られざる事実共々、その偉大な航跡を遺憾なく世に知らしめることになった。
思うに、ここまで激しく音楽的志向を変えたミュージシャンはそうはいないのではないか。昔に限ると、クラシック畑からロック畑に移行した(せざるえなかった)“ザ・ビートルズのプロデューサー”ジョージ・マーティンとか、ザ・フォーク・クルセダーズをやめて、その後、サディスティック・ミカ・バンドを始動させた加藤和彦あたりが該当するか。
テッド・テンプルマン、恐るべし。彼を輩出したハーパース・ビザール、侮るなかれ。
なお、余談ながら……。
『松屋』の朝定食タイムは、極上の(言いすぎ)“ソフト・ロック”タイムでも知られるが、けっこうな頻度でハーパース・ビザールの曲が流れる。ヴァン・ヘイレンやモントローズは絶対流れない。