日航123便墜落事故(事件)・第77回〜昨年から話題になっている、事故当時の日本航空や防衛庁関係者らによる告発文。あらためて、順に検証してみるとして
織田祐二 昨年の5月ぐらいから一部で話題になっている、例の、当時の元関係者らによる告発文。今回はそれについて語り合いたい
相方(編集・ライター) 事故当時、日本航空や防衛庁で働いていた者らによる“ひとつの匿名アカウント”による衝撃的暴露の数々。いや、衝撃かどうかは、それらが真実であればの話ですがね
織田 あまりに内容が多岐にわたって入り組んでるので、ちょっとずつ考えてみたい
相方 仮想敵訓練云々については、陰謀論派の間では散々言われてきましたよね。あの事故の根本的キッカケはそこにあったんじゃないかと。そうじゃなきゃ、旅客機があんなに飛んでる地域、海域で訓練を行なうはずがないと
織田 雫石での衝突事故が起こったのが1971年7月30日。以後、民間機を利用した仮想敵訓練はなかったことになっていたはずですが、この告発によると、依然、自衛隊の一部でおこなわれていた
相方 80年代に入って再開したとのことですね。おそらく、多くの日本人は容易には信じられない実態
織田 究極の陰謀論? ただ、あの時代、あの冷戦時代に学生だった、それも道産子の自分からすると、やりかねない、やってても不思議じゃないというのが本音。ソ連の脅威ですね。先に言った雫石の衝突事故という前例があるだけに、秘密裏にまた行なわれていたのだと聞いても、そうは驚かない
相方 ただ、日航側の一部の人間がそれに協力していたというのは、事実なら驚愕の話
織田 驚愕には違いないですが、完全民間会社じゃない日本航空なら、頷ける話
相方 実は織田さん、前々から123便がオンリーのターゲットだったんじゃないか? という疑念は持ってましたよね。お酒を飲むと、時々そういう話をしていたような
織田 そう。あくまで反事故調査委員会、反報告書の立場で考えたときに、機体後部に不具合が生じていた事実がどうもひっかかって。それは偶然だろうかと。なにかを決行する際に、Aプラン、それがうまく行かなかった際に準ずるBプラン、Cプランなんてのを考えますが、そういうのが頭に浮かんだ。ただ、くだんの告発の内容と異なるのは、自分は自衛隊を信じたい気持ちが少なからずあってですね
相方 自衛隊じゃなく、■軍関与説という
織田 そのあたり、いまも信じたい気持ちや疑念についてはあまり変わってない。なぜなら、あのとき、あの海域での軍事演習はかの国も関わっていたはずで
相方 ただ、その話については、そんな軍事演習はハナから行なわれてなかったという意見も根強くてですね。訓練や演習の事実がなければ、告発文の内容はまったくアテにならないことになるわけで
織田 ネットで探したら、昭和59年度の日米共同訓練の記録が見つかりましたが、昭和60年度のものが見つからず。ぜひ、見たい
相方 これを見ると、訓練区域が“むつ湾”とか細かく書かれてるケースがある一方、“日本周辺海域”とか広範囲に曖昧に書かれてるものもありますね
織田 まあ、当然ですね。すべて明かされるはずはない。表向き、秘密のものもあって当然。公的に記録に残されないものもあるでしょう。冷戦下の軍事演習とはそういうものだと自分は思ってます
相方 話を告発文に戻すと、今回抜粋掲載した文章の最後の一文が気になりますよね
織田 そこですね。あのボイスレコーダーを聴く限り、インシデント後、機長はなんらかの事情、事態を頭に喚起し、ある程度把握していた感じがする……、しないでもない。ただ、告発者もそれ以上は述べてないので、正解はもちろんわからない
相方 そういや、『ワタナベケンタロウ動画』に寄せられたコメントでこんなものがありましたね
織田 元・自衛官の人らしい。“海上自衛隊の訓練海域は四国沖のみ”って述べてますが、先の昭和59年度の記録を見ると、日本のいろんな海域でやっていて、まったくのデマであることがわかります
相方 最近はよくわかりませんが、昭和のあの時代は間違いなくいろんな海域でやってたわけですね
織田 告発文の文量はまだまだたくさん。引き続き考察をおこなえたら幸いです