見出し画像

謝罪のプロが説くフワちゃん騒動。はたして、フワちゃんの謝罪は、「自分のためのお詫び」だったのか?

『女性自身』のネットニュースに載った記事。

フワちゃんの一連の謝罪は結果的に「自分のためのお詫びになっている」とのこと。

そうなのか?

解説するのは、「謝罪のプロ」こと危機管理コミュニケーション専門家の増沢隆太氏。彼はこう話す。

「まず前提として、お詫びをすれば“何とかなる”というより、実際はお詫びしたら“何とかなる場合がある”ぐらいのものです。 さらに今回の場合はフワちゃんの元々の立ち位置というか好感度の問題もあって、スタートから不利でした。フワちゃんはある種の“ヒールキャラ”で仕事をされていたので、“もう見たくない”など反発も強く、そもそもマイナスからのスタートだったと思います。 それでも、問題の投稿の後すぐにそれを取り消して謝罪しました。謝罪のタイミングは良かったと思います。とにかく、すぐに対応したことは評価できるポイントです」

いきなり、よくわからない。わかりにくい。フワちゃんは「やす子さんは許してくれないかもしれない」と、どの程度考えただろうか。昨日今日初めて会った仲ではない。何度も仕事をしている仲だ。おそらく、誠心誠意しっかり謝れば「今回は許してくれるはず」と考えたはずだ。いや、確実に。

好感度云々の元々の立ち位置の部分もよくわからない。今回の件があって、フワちゃんに対する世間の偽らざる本音が露呈炸裂したわけだが、それはまぎれもなく結果論だ。「■んでくださーい」のポスト前までは、世間に表面化した大バッシング、嫌いコールなどは起こっていなかった。

「そもそも今回は内容があまりにも悪すぎて、お詫びで何とかなるレベルではないだろうなと最初から思っていました。パワハラは、個人の感覚に左右されるのではなく、厚生労働省が決めた明確なガイドラインがあります。そのひとつに”人格否定”があります。 つまり、“死んでください”という文言ひとつで完全に該当します。会社で上司が冗談でも『君、死んで』と言ったら、これはもうパワハラになってしまうんです。この単語を使った時点で、かなり致命的でした。なので本当はこの時点で“謝っても難しいだろうな”と見切って危機対応すべきでした」謝っても難しいだろうな”と見切って危機対応すべきでした」

フワちゃんのあのフレーズって、“パワハラ”なのか? 浜ちゃんの「■ねばいいのに」や宮迫博之の「■ね!」はパワハラなのか(言われた粗品はなにも意に介してない)。違うだろう。笑いを目論んでのフレーズだろう(それを笑いと認めるか、笑いとしての好き嫌いは分かれるところ)。「予選敗退」の文言などは、その文面の内容が大喜利であることを表している。

会社と上司を持ち出してきたが、ちょっと考えればわかるように、“会社と上司”と“芸人”の世界は違う。

粗品も語るように、芸人は大喜利ごっこが好き。仮に、問題のやりとり「■んでくださーい」「とっても悲しい」が、『さんまのお笑い向上委員会』あたりでおこなわれていれば、おそらく、それほど問題にはならなかっただろう。さんまの「フワちゃん、それは言いすぎやろ!(苦笑)」で無難に収まっていたはず。

「まず、お詫びと発言の削除をしました。次の段階では、やす子さんに直接お詫びをした。そして第3段階で、芸能活動自粛になりましたよね。この3段階がいわゆる“戦力の逐次投入”で、やってはいけないことでした。 例えば、災害時に自衛隊をちょっとずつ投入するのではなく、最初にドンと全部出して、必要がなかったら下げるというのがいわゆる危機対応です。フワちゃんのこの内容は、私だったら“これは相当まずいぞ”と思って、最初から無期限の芸能活動自粛を発表したでしょう。その上で、やす子さんにお詫びしますとやるべきでした」

自衛隊の例を持ち出すのがよくわからない。あくまで、プロの芸人対プロの芸人の2人の話。先の“会社と上司”もそうだが、今回のケースにフィットしない話を挙げられても、お笑い好きはまごつくばかりだ。

記事に関してのこんなポストを見つけた。

大いに頷ける内容。

記事で今回のケースを解説するのであれば、ひとつやふたつは過去の芸能界の類似のそれを挙げるべきだろう。そうすることによって、比較を試みることにより、話がグンとわかりやすくなる。

「何かが起きてから対処というのは危機対応ができていないということです。犯罪の場合は、危機対応も何もないですが、例えば不倫ならイメージの問題なので、上手く立ち回れば傷が浅く済む場合があります。 フワちゃんは、1番インパクトの大きいGoogleに切られる前に、自らCMを辞退して芸能活動も自粛するなどの手を打っていれば、多少は傷が浅くできたかもしれません」

「何かが起きてから対処する」のが、「いまも昔も変わらない芸能界」というしかない。不倫のケースなどここでは関係ないし(なにか言ってるようで、なにも言ってない)、Googleの件はまさに結果論。自らCMを辞退って、似たケースでそんな鮮やかな立ち回りできた芸能人って、過去、誰が該当するのか?

スマホの誤送信についてはこう語る。

「あの説明を信じた人がどれほどいるでしょうか。だからこそ逆に事実だったのかなとも思うのですが、真実だとしても誰も信じてくれないような説明は憶測を呼ぶだけなので不要です。食品偽装事件などでも、正直に仕入れの条件など説明すると、わかりにくくて嘘をついていると誤解されることがあります。 だから、わからないことを言っても何のプラスにもなりません。『私が不用意でした。軽いノリでしたが、被害者の気持ちを全く考えない愚かで最低な行為でした』とだけ言って謝るしかなかったんです」

自分は、おおむね信じたクチ(苦笑)。「誰も信じないような」は極端な物言いで、フワちゃんならやりかねないと、事実と思った人間は一定数いるだろう。

規模のデカい食品偽装事件を出してきたのには、再度驚かされたが、さすがに編集サイドが「経緯の説明の必要性」を問うと、

「その手のツッコミは、もう何をやったって絶対言われます。反省すれば、“反省すりゃいいと思ってんだろう”と言われるし、しなければしないで“お詫びする気はない”と言われる。これがまさに取り返しがつかない状態です。 だから、今回はそもそもの発言内容からも相当厳しいですが、1番最初に問題の大きさに見合った重いペナルティーを自分に課すこと、つまり活動自粛を出していれば少しは流れが変わった可能性もあったと思います」

結局、なんだかんだあーだこーだ説いても、「流れが変わった可能性もあったと思います」が精一杯の結論。

やす子への直接の謝罪については、

「リスクは極めて大きいですし、私だったら絶対にさせません。芸能界にいるやす子さんは謝罪に対して“ノー”と言えるはずがありません。ということは、最初から許されることを前提に、自分のためのお詫びになっているので逆に印象が悪くなる可能性があるからです。 木下優樹菜さんのタピオカ騒動のときも謝罪に出向いて炎上していましたが、これは自分中心の考え方であって、全く問題解決にならないんです。本人がお詫びに行くのは場合によっては誠意ではなく、誠意の押し売りだと思います。私なら被害者が希望しない限りはやらせません」

と語るが、「芸能界にいるからノーと言えるはずがない」と言い切るのは、乱暴な気がする。やす子ならではの寛大な優しい気持ちでもってイエスと受け入れたと考えられないのが、とっても悲しい。

一方、ここで木下優樹菜のケースを出してきたが、フツーに考えればわかるが、今回のケースとは内容がまるで異なる。仮にフワちゃんが一般人相手にメールで「■んでくださーい」とか、ヤクザまがいの脅しをしたのであれば、自分はこんな原稿は書かない。

結論として、氏の解説がわかりづらいのは、謝罪および、許しの対象が、やす子と世間ゴッチャになってる感を受けるからだろう。あっさりやす子が許したので、持論がやや破綻している(苦しい)きらいもあり、「今回のケースはあくまで稀有なケース」などと一言断じてくれたら、少しはわかりやすくなったかもしれない。

そうして、肝心の「フワちゃんの謝罪は自分のためのお詫び」だったかどうかは、イマイチよくわからないという。

最後にもう一つ、気になったポストを紹介。

いや、“気になった”ではなく、“気に入った”ポストの間違い。

(以上、芸能人は敬称略)



いいなと思ったら応援しよう!