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電車で過ごしていると、煩悩が止まらないのは私だけだろうか

電車は私にとってまったく落ち着かない乗り物である。

新幹線や車はみな、前を向いて座れるように作られているのに、関東の電車の大半が向かい合わせで座らねばならない。ましてや総武横須賀線や常磐線などには"ボックス席"というものが用意されている。

ボックス席は新幹線で座るときに、仲良しグループがわざわざ手動で椅子を動かして向き合っている状態だと思えばイメージしやすいかもしれない。

ラッシュ時に知らないひと同士が向かい合わせになって、ぎっちぎちに座っているのはなんとも不思議な光景だ。自分がボックス席の奥に座ってしまったときは「果たして私は無事に目的地におりられるのだろうか」なんてソワソワしてしまい、落ち着いてなどいられないのである。

夜の常磐線はたちまちせんべいの匂いに包まれる(いまはコロナであんまりいないけど)。帰りのボックス席では、おそらくNEWDAYSで買った柿ピーとビールで晩酌をはじめるサラリーマンであふれていた。みんながやっていればこわくない。いかにも日本人らしい。

「もし、水戸まで帰るとしたら電車で晩酌したい気持ちはよくわかるよ.......」なんて心のなかで思いながら私は、おせんべい臭の漂う常磐線で帰宅するのだった。

電車で過ごしているときに最近一番困っているのは、どこに視線をやればいいかわからないことだ。「はぁ?そんなこと?」と、思うかもしれないが筆者は結構悩んでいる。

電車に乗って空いている席に座ったとしよう。

暇だから中吊り広告見るかと思っても、前に立っている人がいたら「こいつなにみてんだよ」と思われるかもしれないし、中吊り広告を見るにも限界があるし、かといって前を向いていたら向かいの人と目があって気まずい。

はたまた、遠くにいる家族やサラリーマンを見ていると「この家族はこれからどこかにいくのか」だの「この酔っぱらいは悩みがあって飲みすぎたのだろうか」だの、大きなお世話なストーリーを頭のなかで勝手に構築してしまうのであった。目のやり場に困るから「スマホでも見るか」なんて思っても、そんな時に限って誰からも連絡はこないし、SNSは更新されていない。

「それならば本を読めばいいんじゃない?」と思う人もいるだろう。だが10分や15分で目的地に着くと思うとなんとなく落ち着かない。難しい本なんて読んでいたら数行しか進まず、結局次回電車に乗ってもまた同じ行から読みはじめるだろう。なんと私はやっかいで面倒くさい人間だろうか。

悩んだ末、「そうだ!目を閉じれば何も見なくて済む!」と思い、まぶたを閉じた。するとわりと近いところから子供たちの声が聞こえる。

「あの女の人目つぶってるけどさ、絶対寝てないぜ」

「ぐぬぬ。私のことか?」とせっかく閉じたまぶたを再び開け、声のするほうへ目を向けると、N能研のイニシャルがでかでかとプリントされたリュックを背負った子供たちがいた。

「ああ、寝てないさ。いいじゃないか、寝てなくても目を閉じたって。」と子供たちに念を送った。大人げない。

そんなどうでもいいことを悶々と考えながら、結局なにもできずに最寄り駅に到着してしまうのだった。

なんとなくだが、同じような感覚のひとはいるのではないかと勝手に仲間意識が働いている。
そんな人がいたら、一緒に電車あるあるを肴に語れると思う。

たかが電車、されど電車。
当たり前にみんな乗ってるけど、実は不思議な空間。
決して好きではないけど、仕事のための想像力を働かせるためには結構大切な場所だったりもする。

そして私は再び同じように電車に乗って、どこに視線を向けるか悩みながら待ち合わせに向かうのだった。





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