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ずらすことと、ずらすためには
ジャック・デリダに「脱構築」という概念がある。テクストの解釈をずらしてみるというような概念らしい。井筒俊彦は「東洋」を提示しつつ、ギリシャ哲学に東洋的神秘を見出し、東洋と西洋をずらしている。島田紳助に言わせると松本人志の笑いは間をわざとずらしているのだそうだ。
かように「ずらす」というのが最近の潮流のようだ。
しかし何かをずらすには「ずらすところのもの」がしっかりと存在していなければならない。「ずらすところのもの」、すなわち本流というものがしっかりと存在感を放っていなければ、ずらすという現象も何をやっているのかわからなくなってしまう。
どうやら本流みたいなものを愚直に追求するという作業は必要なようだ。
歌舞伎でも「形破り」というのは伝統的な形を乗り越えるという意味で、基本の型を覚えずに演技しているのを「形無し」と言われるらしいですよ。