![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/160435220/rectangle_large_type_2_7b4a082ee65b6288e043ad16e9d478ea.png?width=1200)
Photo by
_fuwamai_
libertyとfreedom
西尾幹二の本を読んだ。西尾幹二と言うと思想的に偏っていると読まずに敬遠する向きもある。しかし該博な歴史知識を元に耳を傾けるべき議論もある。
その一つが自由についての論考だ。
自由とはlibertyとfreedomがあるという。libertyとは社会的に自由であること、freedomとは内面の自由を指すという。
libertyは社会体制によって制限されることがあるが、内面の自由であるfreedomはいつだって個人の内面で保持されているという。
個人的にはlibertyには社会的責任えお伴う高尚なもので、freedomは無責任な自由放任という意味でよろしくないという論考を読んだことがあったので、個人的な感想としては反対の解釈で意外感があった。
実は社会的弾圧があってもlibertyは保持される。ソクラテスのように自ら毒杯を仰ぐ覚悟があればいいのだ。
freedomと言った場合面従腹背という言葉があるように維持することは可能なのだが。
そうそう単純な話ではない。