私的言語は成立するか
ヴィトゲンシュタインに「私的言語」は成立するかという問いがあったように思う。全く「私的」なのだが「言語」であるという存在だ。
チェスタトンの推理小説で、ある男がグラウンドを謎に腕を振り上げたり、大きく足を上げたりしてグルグル回っていて、目撃者は意味がわからなくて困惑していたが、名探偵は「彼は全く新しい言語を発明したんですよ」というオチのものがある。
これは「私的言語」なのだろうか?
「言語」と呼ぶには足りないと思う。対話が成立しないものは言語ではないだろう。「私的言語」など成立しないのだ。