炎上案件とAIの紡ぐ文章と
AIの書く文章が話題になった時、僕はたいした問題ではないと思っていた。
アシモフのSF作品で、よくある表現に『ロボットは理性的だが分別がない』というものがある。
これは誠に当を得た表現で、ロボットはあくまでも人間の模倣であり、AIも必死で人間足らんとする存在なのだろうと僕は考えていた。
AIも理性的だが分別がない。
しかしここにきて僕はその考えに疑問を持った。先日、さるアナウンサーの方が炎上した。どんな方かつぶさには存じ上げないし、興味もないのだが要は『夏場の男性の放つ「におい」』に関するものだった。
アナウンサーさんは『このにおいが自分は苦手だ』『自分は清潔さを保つため様々なことをしている(実例あり)』『世の男性もそうなって欲しい』とこういうようなツイートをされ、これが炎上したわけだ。
この炎上には男女平等の観点からの批判が多かったようだが、この案件そのものは僕は「ふーん」程度に眺めていたわけなのですが、とあるツイートを見てハッとした。
そのツイートとは、この炎上したアナウンサーさんのツイートをAIに添削させたらマイルドになったというものだった。なるほど確かに表現が炎上するようなものではなくなっている。
なんでも物は言い様である。
かつてココ・シャネルは「醜さは許せるけど、だらしなさは絶対に許せない」という名言を残した。
これが名言として世に残っているということは、この文章が不快感など抱かせず、かつ誰かの心を揺さぶるということだ。
しかし炎上アナウンサーさんと言っていることというか、論旨は同じである。
においがあるならそれを避ける努力をすべきだ、と言いたかったその趣旨は炎上してからの「日に何度もシャワーを浴びろと言っているのではない。シャワーは手段に過ぎない」というような反論からも見て取れる。
同じような事を言いながら、シャネルは受け入れられ、アナウンサーさんは炎上した。
なにが違ったのか? 言葉である。言い方であり、表現でしかなかった。
AIには立派に分別があった。ココ・シャネルほどではいにしても、アナウンサーさんよりは。