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出居番ラジオ♯14 跡部嵩幸さん|松本の"シモキタ"をつくる「うらまち」再生プロジェクト|信州松本うらまちレジリエンスプロジェクト|
出居番ラジオ パーソナリティのおーきです。
今回のゲストは、跡部嵩幸さん!
「NPO法人まちとコラボ」の理事で、
「信州松本うらまちレジリエンスプロジェクト」の
事務局を担われています。
私たちは多様な場面で『まちづくり』という言葉を使い、
大雑把な捉え方をしています。
しかし、『まちづくり』とは一体何なのか?
「計画づくり」という”抽象”と、
「現場の実践者」という”具体”とを行き来する跡部さんだからこそ語れる
『まちづくり』の本質をお聴きしまた。
はじめに
松本市の中心街には「うらまち」はと呼ばれる地域があります。
松本城から東側、ここ「出居番丸西」から2ブロック東へ、
徒歩にして2~3分進むと「裏町通り」という南北の道路があり、
その通りの東側の地域が「うらまち」です。
かつては、松本の中心市街地の盛り場であったまちです。
しかし、バブル崩壊以降賑わいは下り坂となり、
飲食店向けの商業ビル群からテナントの撤退が進み、
まちは、空き店舗だらけになっています。
今も残る多くのスナックの看板たちは、
本来輝く夜中でも眠ったまま朝を迎えています。
「信州松本うらまちレジリエンス・プロジェクト」は
衰退したこの「うらまち」の再生を目的に立ち上がったプロジェクトです。
その事務局を担っているのが跡部さんです。
跡部崇幸 さん
跡部嵩幸さんは、松本市で生まれ松本市で育ちましたが、
バブル期を少年期として過ごしていた世代のため、
うらまちの最盛期の賑わいは体験していない世代です。
「自分のことを、こんなに話す機会はない」と
出居番ラジオ出演にあたり不安を言葉にされましたが、
この謙虚な姿勢や淡々と話される語り口がとてもフラットで、
『まちづくり』のポジションで活かしているのではないかと想像しました。
一方で、ときに見せる冷静な眼差しが印象的でもあります。
”海のみえるまち”での1年間|『まちづくり』の原体験
跡部さんが『まちづくり』に関わることとなった原体験について、
大学時代に遡り教えてくれました。
大学生のときに研究のフィールドワークとして”海のあるまち”に1年間住みこんで『まちづくり』に携わったことがあります。これが私の原体験になっています。そこに住んでいる方々が「いつかこういうことをやりたい」というプロジェクトをまとめた計画書を作りましたが、計画を作るだけだと動かないというか、企画倒れになるので、それだったら、1年間住み込んで実際にやってみようとなりました。
大学では建築学科で都市計画を専攻していた跡部さんは、
建築設計の仕事に就くも、松本で『まちづくり』への関わりを探し、
その結果、自治体の計画づくりや施策づくりに携われれています。
十年以上ぶりに”海のあるまち”にいく機会があって、当時一緒に活動した方々は高齢なり、地域の少子高齢化で消滅可能性を肌で体感するレベルになっていました。
やっぱりなんかそれだと、プランナーとして十分にできていたのかという感覚があって。
『まちづくり』が上手くいくためには、よい計画だけでは足りない。
実践者が加わったとしても、十分でない。
では一体、何が必要なのか?
「松本うらまち」への偶然的なコミット
跡部さんが松本で『まちづくり』に携わりたいと思い、周りに相談していた時、
偶然出会ったのが林勇次氏です。
林勇次氏との出会いが、
「信州松本うらまちレジリエンスプロジェクト」に関わる
きっかけになりました。
ただし、実際の関わりはそこから時間が下り10年後。
10年という時を経て、
林勇次氏が会長を務める「信州松本うらまちレジリエンスプロジェクト」に、
跡部さんが呼ばれることとなったのです。
跡部さんは松本市の出身ですが、
生まれは「うらまち」から北へ行った別の地域です。
跡部さんがうらまちの再生に携わり続けているのは、
自分のやりたいことが実現できるからだと言います。
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信州松本うらまちレジリエンスプロジェクト
松本の”シモキタ”をつくる|プロジェクトのアウトライン
「にぎわいが増える」と「テナントが増える」の好循環を改めて創り出すこと
”目的”
プロジェクトでは、うらまちにゆかりのある人や、
うらまちに可能性を感じる人たちなど、多様な方々により、
草の根的な活動を積み上げ、連携してプロジェクトを推進しています。
プロジェクトでまちのビジョンづくりが行われました。
うらまちでやりたい事、できそうな活動が考えられ、
関係者が皆でつくり上げたビジョンです。
松本の"シモキタ"をつくる
”ビジョン”
松本の"シモキタ"がしめすものは、
個性的な店舗が集まるサブカルチャーのまち
小劇場のある演劇のまち
新旧の店舗が混在する雑多な魅力を発信するまち
この店舗軸、劇場軸、情報軸の3点が掲げられています。
"シモキタ"こと東京の下北沢は、
東京都世田谷区まちで、古着、音楽、演劇などのサブカルチャーが
集まる街として知られています。
なるほど確かに、社会のメインカルチャーである主流の文化に対して、
「うらまち」という名前が持つ魅力、
歴史的に、地理的、劇場という新たな文化資本的にも、
"シモキタ"に通じる要素を「うらまち」は持ち合わせていると思わせます。
リブート|プロジェクトから生まれた取り組み
「信州松本うらまちレジリエンスプロジェクト」が始まり、
演劇活動、空き店舗見学ツアー、マルシェイベントなどが開催され、
実際にシェアハウス、居場所をつくるカフェ、シェアキッチン、喫茶酒場など
空き家や空き店舗を活用した取組が生まれています。
プロジェクトの特徴を跡部さんは「多くのかかわり」と話されます。
一方で、かかわりが多ければ多いほど、
その求心力を維持するのは簡単なことではないはずです。
関係者のコミットを持続させ、プロジェクトの推進力を保つには、
どのような工夫を行っているのでしょうか。
その答えは「やりたいこと起点」と跡部さんは言います。
「やりたいこと」を実現していく、これが一番大きと感じています。
誰かの「やりたい」ことと「うらまち」がマッチして、実現できる楽しさがあり、応援する方にも楽しみがあって。「やりたいこと」のコンテンツがある限りプロジェクトはドライブしていくかなって。プロジェクトを続けていくこと自体を目的化しちゃうと、うまくいかない気がするんです。
『まちづくり』とは?
ひとつの答え
『まちづくり』は、きれいな計画を策定してもその地域で駆動しないでしょう。
『まちづくり』とは、
一人ひとりの「やりたいこと」の実現の総和でないか、と思います。
「やりたいこと」が矢継ぎ早に生まれ、それが関係者とともに実現されていく、
『まちづくり』はこの総体。
跡部さんのように、抽象と具体を行き来できる人が、
やりたい人と支援者の両方の文脈を理解し、「重なり代」を見出し、
実現できる楽しさを生み出していく。
レジリエンス|「うらまち」の今後
レジリエンスとは、
困難をしなやかに乗り越え回復する力と訳されることがあります。
レジリエンスプロジェクトは、
過去からの危機だけでなく、今後も訪れであろう危機をも乗り越える力を、
このまちが持ちづつけることが最終目的だと思います。
「うらまち」の良さを跡部さんは「裏」に込めます。
裏だからチャレンジできるとか、なんか失敗してもいいんじゃないかと思えることが、実は一番の魅力かなと思っている。
表じゃないから、裏側で自分のやってみたいことができる、やってもいい町である。しかも、中心市街地にある。それって、すごくいい。
まちの歴史に
「信州松本うらまちレジリエンスプロジェクト」が
魅力を新たに吹き込み、
表ではなく裏だからと、「やりたいこと」を求めて人が集まり、
その「やりたいこと」を跡部さんたちが受け止め、つなぎ、実現させていく。
この一つひとつの繰り返しが『まちづくり』です。
跡部さんは、大事なことは継続だと言います。
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