見出し画像

大切なあなたへ、届け、この思い。

7月末以来会っていなかったその方は、記憶の中の姿よりも小さく、老け込んでいるように見えた。

最後に会いに行こうと向かう車の中で既に涙は零れていたけれど、静かに横たわるその方を見た瞬間、涙腺が完全に決壊した。

固く閉ざされた瞼、もう二度と物言わぬ口。
最期まで病魔と闘っていただろうそのお顔が、眠っているかのように安らかなのがせめてもの救いだった。

早朝に高速道路を飛ばして駆けつけたわたしたちに、その方の息子さんと娘さんは「いろいろとご尽力頂いたおかげで1年寿命が伸びたと母が言っていました、ありがとうございました」と言って下さった。

……だけど、わたしの母とたった10歳しか変わらないその方は、星になるにはまだ早すぎるはずなのだ。

***

その方とは、たくさんの約束を交わしていた。
病気を克服したら、美味しいものを食べに行こう、綺麗な景色を見に行こう。
とっても素敵な旅館があるの、行ったら絶対に気にいるよ、と。

けれど、それらは全て果たされないまま、その方は空へと昇ってしまった。
もっとこうすれば良かった、ああすれば良かったなんて、後悔は尽きない。

LINEをすることができるからって、電話をしたら出てくれるからって、その「当たり前」がいつまでも続くとは限らないし、いつ終わったっておかしくない。
会いたいのなら、一緒に行きたいところがあるのなら、ためらわずそれを伝えてみなければならなかったんだ。

———後悔に駆られていたその時、ある言葉がわたしの脳裏を横切った。
我が家のWiiが壊れてしまった今でもお気に入りのゲーム、「アナザーコード:R 記憶の扉」に出てくる言葉だ。

主人公であるアシュレイの母親は、彼女が3歳の頃に亡くなっており、生前に残したメッセージの中でこう語っている。

「アシュレイ、人は2度死ぬそうです
1度目は肉体から魂が離れたとき
そして2度目は…
その人の思い出が誰の心からも消えたとき」

「アシュレイ、あなたの中で私はまだ生きていますか?」

その方は、肉体から魂が離れて一度亡くなってしまわれたけれど。
残されたわたしたちが彼女のことを覚えてさえいれば、彼女はいつまでもわたしたちの記憶の中で生き続けるのだ。
元気だった頃の姿のままで。

ならば、わたしたちが生きている限り、彼女のことを忘れなければいい。
時には色とりどりの綺麗な花束を持って、墓前でたくさん語りかけて。

———だからどうか、いつまでも生きていて。
わたしたちの心の中で、笑いかけてください。


***

母の知人で、わたしともいろいろと関わりがあった方が旅立たれ、少しの間noteをお休みしていました。

悲しみは根深く残り続けているけれど、少しずつ心身共に回復してきたため、彼女への哀悼の気持ちと、お休みすることをお伝えした際にスキやコメントを下さった方への感謝を込めて書きました。

復活するまでのつぶやきにもスキやコメントを下さった皆様、お休みする際に温かいコメントを下さったりようさんゆうらさんxuさんriraさん、本当にありがとうございました。
皆様の存在があったからこそ、noteに帰ってくることができました。

改めまして、これからもどうぞよろしくお願い致します🙇🏻‍♂️

いいなと思ったら応援しよう!