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緒方洪庵 天然痘やコレラと闘った医師

緒方洪庵は江戸時代の医者。
漫画『仁』でも登場し、ドラマ化された時は武田鉄矢が演じたので、ご存知の方も多いだろう。

元々は武家出身だった緒方洪庵。彼が医者を志したのは、文政5年(1822)のコレラ大流行の時だったといわれる。

朝鮮から始まった流行は、やがて九州に移り、東へ広まっていった。
当時13歳だった緒方洪庵のまわりの人々も次々と死んでいく。数日の間に何百人という人が死ぬ。今のコロナどころではない。
大阪では、患者は発病から3日の間にコロリと死ぬので「三日コロリ」と呼ばれた。いや、それ以上の「半時コロリ」もあり、死に至る速さから「鉄砲」と呼んだ地域もあった。

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流行は東海道で収まり、江戸には入らなかったというが、全国で10万人は亡くなったという。恐ろしき病、コレラ。

「聖も賢人も、病となればどうすることもなく死んでいく」

病の前では、身分も学問も変わらず、人の命が失われていく。
武家の三男であり、父親からも武士として生きていくことを望まれていた洪庵だったが、医学の道を志すようになったという。

ついに17歳の時、医学を志す旨を親へ宛てた置き手紙を残し、故郷の岡山から単身大阪へ旅立った。
手紙の最後には、自分のことを「不孝かつ不肖の子」と記されてあった。
よほどの覚悟であったのだろう。

しかし、その後、緒方洪庵は目覚しい活躍をし、特に、天然痘の治療のために尽力した。
ジェンナーの開発した牛痘法、つまりワクチン接種の手法を日本で広めたのが緒方洪庵だ。
様々な毀誉褒貶がある中、洪庵は根気よく闘い、多くの人々の命を救ったのだ。

「医師がこの世に存在している意義は、ひとすじに他人のためであり、自分自身のためではない。ただおのれをすてて人を救わんことをのみ希うべし」(緒方洪庵)

おのれをすてて、人のために動く、ということは中々できることではない。しかし、その強い思いを見習って、まわりの人の幸せを願い、自分の日々の生活にも活かせたらと思う。

02緒方洪庵


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