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服部金太郎 一代でSEIKOを築いた時計王

服部金太郎は、かの「服部セイコー」を一代で築き上げた、いわば「時計王」です。

1860年、江戸の貧困家庭に生まれ、若くして働きに出て、その奉公先で「時計の修理」を目にします。
修理工に興味を持った服部金太郎は必死に働いて金を貯め、服部時計修繕所を開店、それがやがて服部時計店となるのは明治14年のことだ。

明治初期の時計は、そのほとんどが海外からの輸入品でした。海外商法と日本本来の商法との違いから、日本商人は時計販売に大変苦労します。
というのも、代金決済は一ヶ月以内に行う、というのが外国商人とのルールですが、日本商人は江戸時代からの「盆と師走の年2回決済」という古いルールを引きずっていて、一ヶ月ルーティンの支払いをしない店が多かったのです。
そんな中、服部金太郎は苦しい中でも誠実に一ヶ月決済を必ず守り、外国商人からの信頼を勝ち得ます。
そうなると、「服部にいい商品をまわそう」ということになり、自然と服部時計店は繁盛していったといいます。

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このことについて、服部金太郎自身が当時の実業者向け雑誌に寄稿しており、その題名が

「正直の二字が発展の機会を作った余の実験」

でした。
その日暮らしで財布の中が空っぽになろうとも、支払い期日は正直に守り抜いた。それが信頼を勝ち得て商売繁盛につながった勝因だ、ということなのですね。

約束をしっかり守る。当然のことですが、自分は日頃どれだけできているだろうか、反省させられます。

服部金太郎は東京・銀座の一等地に本店を構え、そして輸入に頼っていた中、「精工舎」を起こして自ら時計を生産すことに着手。
それが「SEIKO(セイコー)」へと繋がったのです。

(マンガは『歴史人物に学ぶ 大人になるまでに身につけたい大切な心』第4巻より)

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