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独創性のない自分との向き合い方
noteの全ての記事に対して、個人的には独創的なことを書いているつもりでいる。
が、実際のところは大したことは書いてないのだろう。
自分にとってものすごい発見というのは、誰かにとっては既に当たり前のことだったりする。
こんなこと今更言ってるの?と思う人もいるかもしれない。
ということは、
書いている内容は良いことでもなんでもなく、当たり前のことになるというわけだ。
じゃあ、
どうせみんな分かっているような当たり前のことなんだから、
わざわざ書いてその上発信なんてする意味ないじゃないかと思ってしまうが、
案外そうでもない。
人の考え方というものは、想像以上に不安定で、
結構な頻度でコロコロ変わる。
昨日一昨日くらいまでの考えであれば覚えていられるかもしれないが、
さらに前、例えば1週間前の考えはどうにも思い出せなくなっていく。
それを繰り返していくと、
今の自分に近い考え方だけが残り、
過去の自分がどんなことを考えてたかは曖昧になる。
今の考え方は明瞭であり、昔の考え方が曖昧であると、どうしたって今の考え方に偏ってしまうことになる。
自分の考え方をしっかり持つというのは大事だが、それだけを指針にしてしまうと、なんとも独りよがりな気がしてしまう。
形が見えないために、「考え方」というものの輪郭は掴みづらく、仮に独りよがりになっていたとしても気付きづらい。
他人との違いが見えないことで、本来曖昧であるはずの考え方が絶対視されてしまうこともある。
そんなことになることを防ぐために、
昔と今では考え方が違うという自認ができるだけでも、多少の独りよがりは緩和されるのではないだろうか。
結局は、当たり前のことだろうがなんだろうが、
自分のために書いておくことが未来の自分に向かってのバトンになる。
これまでこんな考え方で人生を歩んできた。
これからはどんな考え方で人生を歩んでいきたいか。
それを明確にするには、自分が知ってきた当たり前を並べて見れるようにすることなんだろうと思う。
もしかしたら、ある程度の期間が経った後に同じような内容の記事を書くことになるかもしれない。
ただそこで、テーマのネタ切れなどは悲観する必要はない。
同じテーマで書いて、全く同じことを考えているのであれば、その時点の自分にとっては確固たる考え方なのだろう。
もし全然違う考え方になっていたとしたら、
その間に何が起こっていたのか、考え方を変えるきっかけになる言葉があったのかなど、色々と考える機会にもなる。
自分の中で考え方が変わっていたとしても、どちらもきっと誰かにとっては当たり前だろう。
同じ時代を生きている以上、たったひとりだけが考えているということは、なかなか起こりえない。
きっとそんなものなんだろう。
そんな当たり前のことを積み上げていくのが生きていくということなのではないかと思う。
ひとつひとつのパーツは当たり前かもしれないが、積み上げ方次第でその人らしさというものは現れる。
さらに付け加えると、当たり前のことというのは案外人の心に刺さるものでもある。
目の前に全ての考え方が異質な人が現れたとすると、最初は頑張って話を聞こうと思うが、
途中から「何言っているか分からない」という気持ちが強くなって、話が耳に入ってこなくなると思う。
知っていることだからこそ、話を聞く態勢が作れることもある。
当たり前のことしか言えない自分をそこまで卑下する必要もない。
むしろ、
当たり前のことしか言えないから、何も話さないし書かないとなってしまう方がもったいない。
何でもいいから話しておくこと、そうすることで更新できていくこともある。
これは僕自身に持っておいてほしい考え方である。
こんなこと当たり前だよねと思いながらも、それについて深く考え、多角的に見る。
当たり前と言って、そこで終わりにしないでもらいたいし、分かった気にもならないでもらいたい。
分からないことを楽しめるくらいの気概の方が、きっと楽に生きられそうだ。