おひな

IT系のサラリーマンをしながら、漫画家を目指す30代です。このnoteでは思い浮かんだ問いや考えを逃さないように、つなぎとめる場所として、記事を書いていきます。

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IT系のサラリーマンをしながら、漫画家を目指す30代です。このnoteでは思い浮かんだ問いや考えを逃さないように、つなぎとめる場所として、記事を書いていきます。

マガジン

  • 失うことの研究

    「失うことは怖い」と思っている。が、正直なところ何が怖いのか分からない。でも怖い。そんな怯える自分を知るための研究。「失う」という事象の何が怖いのか、いつ怖いと感じたのか、なぜ怖いと思ったのかを並べて組み替える。

最近の記事

ロボット診断が苦手

    • 仕事は好きじゃないけど、アイデンティティも失いたくない

      仕事が好きじゃないという感覚、できるならしたくないという感覚が社会に出て5年以上経ってなお残り続けている。 でも、嫌いに対して、ちゃんと考えたことがあったのかというと、 これまでに無かったようにも思う。 基本的に嫌いなことは避けていいものではないかと考えている。 運動が嫌いな人が無理に運動する必要もないし、ゲームが嫌いな人であれば、ゲームをしなければいい話。 けれど、こと仕事となるとそういうわけにはいかない。 仕事があるから、生き繋ぐことができるし、コミュニケーション

      • やりたいことには賞味期限がある

        数年ぶりにやりたいことを書き出してみた。 前回はたしかコロナ前にやりたいことを書き出したような記憶がある。 2019年頃だったように思う。 実際に数年前に書き出してみたことに対して、どのくらい進んでいたのかというと、達成できていたのは50個中3個。 完全に忘れていた内容だったので、達成できているものがあること自体、少し意外だったように感じる。 とはいえ、ほとんど達成できていないことも事実。 というか、今となってはやりたいと思っていないこともあった。 振り返ってみる

        • いきなり感想を求められましても

          案外、自分の感想というのはよくわからない。 もちろん、自然と感想が出てくるということもあるけれど、あえて求められるとそれほど出てこなかったりする。 感想が出てこなかったことで、 パッと思いつくのは、新入社員の頃に行った朝のスピーチだろうか。 必ず誰かひとりはスピーチを行うことになっており、テーマは共通だったり、自由だったり様々。 そして、スピーチを行うわけだが、それが終わると必ず誰かが感想を言うことになる。 しかし、1分だか3分だかで話されたことに対して、すぐに「

        マガジン

        • 失うことの研究
          1本

        記事

          生産体質になるために

          どうも最近は、生産するということに妙な重さを感じている。 note書くにも漫画描くにも、何も思いつかないし、イラストを描こうにも何も描きたいものがない。 一時は描きたいものはいくらでも目についていたし、日ごろからアンテナもしっかり作られていたと思う。 けれど、最近は何も頭に入ってこない。 何かを考えようという気持ちもない。 そうなってしまうと、生産するきっかけが現れない。 ただ仕事をして、休みはダラダラするだけで、 自分に何も取り込まず、外に出そうともしない。 こ

          生産体質になるために

          やっと2022年に慣れたのに。

          毎年思うことなのだが、年を文字で打ち慣れてくるころには、1年が終わっている。 迷いなく2022年と打てるようになったと思ったら、もう2023年と打たなければいけないので、混乱するばかりである。 西暦ならまだいいが、和暦は触れる機会自体があまりないため、慣れることすら無く、そもそも何年か分からない。 それは仕方ないことにしよう。 1年間慣れしたんだ西暦という習慣をあっという間に手放さなければいけないというのは、他の習慣に考えてみると大きな変化である。 2023年はまだ始

          やっと2022年に慣れたのに。

          どうしたら「大人」になれるだろう?

          もう15年くらい同じ種類の野球ゲームを続けている。 振り返ってみると、なんだか大人になっても変わらないものだなと思う。 今27歳なので、15年というと12歳からやっていることになる。 その間に、小学校を卒業して、中学高校大学と進み、社会人になった。 環境も人付き合いも、約3年刻みで目まぐるしく変わって、当時と同じだと言い切れることはほとんどない。 昔に比べて色々なことは知ったし、当時よりも使えるお金も多少は増えたと思っている。 わざわざそのゲームを選ばずとも、いく

          どうしたら「大人」になれるだろう?

          スマホでnoteを書けたらいいのに

          僕はスマホで長い文章を書くのが苦手。 画面が小さいからなのか、フリックだとなんとなく疲れてしまうからなのか。 文章を書くって決めたら、ちゃんと椅子に座って、PCをセットして、みたいな感じで気合いを入れるから書けるような気もするので、 スマホだと妙に気合いが入らない。 かといって、PCに限定してしまった時の文章を書く機会損失は結構大きい。 PCを開いて文章を書くというのは、準備にかなりのコストがかかるし、場所も選ぶ。 ネットはちゃんと繋がるのか、電源は用意されている

          スマホでnoteを書けたらいいのに

          どうして身近な人の言葉を信じられないのか?

          僕は身近な人の言葉を信用できない性質を持ってしまっているように思う。 人のことを信用できないとかそういうことではなく、 言葉を信用することが難しく感じてしまう。 だからといって、初対面の人やあまり僕のことを知らない人からの言葉を信用できるかと言われたら、それもできないと思ってしまう。 一言でまとめれば、ただの面倒なやつなのだ。 とはいえ自分は面倒なやつだと言って落ち込んでしまうだけでは面白くないので、ちょっと深堀りしてみたい。 「なぜ僕が身近な人の言葉を信用できない

          どうして身近な人の言葉を信じられないのか?

          価値の尺度をお金に頼らない練習をしたい

          自分の身近にあるものの価値を測ろうとした時に、一旦お金の尺度を挟んでしまうことをやめたい。 まるで、お金でしか世の中を見れない人間みたいな感じがしてしまう。 お金以外の尺度が発達してしてないとも言える。 尺度が分かりやすいものならまだいい。 速いとか大きいとかなら、見え方として分かりやすいからそこまで迷うことはない。 けれど、きれいであるとか美味しいのような、人によって様々な尺度を用意できるものについては途端に判定が難しい。 そうなると、これはいくらだったからきれ

          価値の尺度をお金に頼らない練習をしたい

          逃げるための夢としないように

          僕は高校生の頃から、漫画家になり、人に物語を伝えられる人間になりたいという夢を持ち始めた。 高校生になって初めてちゃんと漫画を読んで、なんでこんなに面白いんだろうと思ったし、ワクワクもしたし、キャラクターに対して悲しいとも思ったし、頑張ってほしいとも思った。 漫画というものは、こんなにも自分の心を動かしてくれるのかと感動し、それを作ることが自分にとって初めての夢になった。 それまでまともに絵なんか描いたことないし、話を考えたこともない。 自分にユーモアがあると思わない

          逃げるための夢としないように

          恐れず自分の意見を伝える為にはどう考えたらいいか?

          僕は仕事にしても趣味にしても、何かしらを発信する環境にいることが多い。 そのため、自分から生まれた意見への評価を貰うことも多く、その評価を自分という人間に対するものであるという認識で生きてきた。 そして、そんな経験を長くしたことで、意見に対する評価をおそれ、自分の意見を引っ込めてしまいたくなる衝動が生まれる場面に出くわすようになった。 持っている意見は言った方が議論も活発になり、様々な視点が話すことができるため、引っ込めてしまうメリットはないに等しい。(相手を傷つけるた

          恐れず自分の意見を伝える為にはどう考えたらいいか?

          いつも同じ壁にぶつかっている

          最近、僕は何を考えているんだろうか。 自分の中で判然としないことが渦巻いているような気がする。 仕事のこと、生活のこと、将来のこと。 あらゆるものが形を帯びておらず、なんとなくふんわりとしたまま漂っている。 こんなことが無くなるようにとnoteを書き始めたはずなのに、結果的にはそんなことが起きている。 どうしてだろうか。 おそらく考えていることはちゃんとある。 何も考えずに生きるなんてできようがない。 なのにも関わらず、1日過ごすとぼんやりとすらも覚えていない

          いつも同じ壁にぶつかっている

          書けない時には何を書こう

          気付いたらnoteを毎日書くようになってから、2週間が経った。 この期間、スムーズに書ける日があったり、まったく書けなくて延々とダラダラしてる日があったりする。 始めた当初は書きたいことがあるときに書いていて、思いつかない日は書くこと自体しなかった。 だから、毎日書くことはせず、最も間が空くときで一週間くらいすぎている時もあった。 そのペースで書いていれば、ネタ切れすることはまずない。 1週間もあれば何かしらの体験はしているし、それに連なって何かしら考えている。

          書けない時には何を書こう

          ぼくは何を見てふみきりをわたっているんだろう。

          日頃、自分がどんなことを考えてどんな判断を下しているのかというのは、 案外自分でも分かっていない。 なんとなくこんな感じということは分かっているかもしれないが、 面と向かって聞かれると、返答に窮することは少なくない。 なぜだろうか。 自分のことは自分が分かっているはずなのに。 というよりも、分かっていないとすると怖い。 今自分が行動を取っているのに、自分ではその判断を下した理由は分からない。 だとしたら、何に従って今を生きているのだろうか。 自分のことは外から見

          ぼくは何を見てふみきりをわたっているんだろう。

          息抜きは、つめでする

          僕はずっと「ネイルデザイン」のことを不思議だと思い続けていた。 爪をおしゃれにすることによってどんな効果があるのだろうか。 元々野球をしていたこともあり 投げるために爪を気にすることはあった。 長すぎても短すぎても投げる瞬間に違和感があり どうにか同じ長さに保てないかと苦心したものだ。 これはあくまで実用的な話で、 爪の手入れをしておかないと、困るから行っていたのである。 しかし、ネイルデザインとなると話が違う。 別になければ困るというものでもないし、範囲としても

          息抜きは、つめでする