やりたいことには賞味期限がある
数年ぶりにやりたいことを書き出してみた。
前回はたしかコロナ前にやりたいことを書き出したような記憶がある。
2019年頃だったように思う。
実際に数年前に書き出してみたことに対して、どのくらい進んでいたのかというと、達成できていたのは50個中3個。
完全に忘れていた内容だったので、達成できているものがあること自体、少し意外だったように感じる。
とはいえ、ほとんど達成できていないことも事実。
というか、今となってはやりたいと思っていないこともあった。
振り返ってみると、やりたいと思っていたことも、気が付けばやりたいとすら思わなくなっている。
どうやら、やりたいことには賞味期限があるらしい。
やりたいと思うだけで持ち続けているうちに、どんどんエネルギーが減っていき、気づけばやりたいから外れていく。
そうだとするなら、やりたいと思ったことはやりたいと思っているうちにやっておかないと、せっかくの機会を失うことになってしまう。
やりたいことはやってこそのものであり、やらないで溜めておくものではない。
やらないまま過ごすのは、シンプルにもったいないと思う。
何かをやりたいと思うこと自体がとても貴重なことで、意識して得られるものというわけではない。
やりたいと思えることに出会う機会は、縁の要素が大きい。
どんなに流行っていたとしても、どんなに誰かに勧められても、自分の興味が湧くことがなければ、やりたいにはつながらない。
やりたいと思ったことがあるのなら、さっさとやって、経験に変えてしまう。
その方がよっぽど次につながるし、新しいやりたいことや実際にやったことを軸にさらにやりたいことが増える可能性もある。
「やりたい」から「やった」に辿り着くまでの時間が短いほど、経験値が貯まり、新たな「やりたい」につながっていく。
「やりたいことを思う存分やる生き方」と「やりたいと思いつつなかなかやらない生き方」のどちらが楽しいだろうか。
深く考えるまでもなく、「やりたいことを思う存分やる生き方」の方が楽しいに決まっているだろう。
それに、やりたいことをやれなかったという経験を積んでしまうと、どんどんやりたいことをやれないのが普通になっていってしまう。
どんなに小さくてもいいから、やりたいことはやっておくべきである。
それを繰り返すことで、やりたいことは循環するようになる。
冷蔵庫に保管している食材は、ずっと保管できるわけではない。
材料によって、賞味期限が明日だったり、来週だったりする。
消費していかなければ、あっという間に冷蔵庫の中身が腐った食材だらけになってしまう。
やりたいことをやらないというのは、その感覚に近い。
できなかった「やりたいこと」が自分の中にどんどん溜まり、滞留し、腐っていくイメージ。
腐ったものを簡単に処理できるのであればいいが、処理するためにはやってみるしかない。
そうしない限り、「あの時これやりたかったんだよな」という気持ちが、心に残り続けてしまう。
それが腐った後だとすれば、余計に大変。
そうなってしまうことを防ぐためにも、
「やりたいこと」は大切に保管するのではなく、食材のように「やりたい」を消費していく。
そういう生き方に変えていくことが、これからの人生に楽しみを生み出していくのだと思う。