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日本料亭「菊乃井」で10年間の修行を経て帰郷。地元の食材を活かす「崇(すう)」を開業した店主・田中俊祐さんの挑戦。

こんにちは、地域おこし協力隊の張本です。今回のインタビューのお相手は14年連続ミシュラン三ツ星を獲得した日本料亭「菊乃井」にて、10年間料理人としての腕を磨いたのち、2023年6月におおい町名田庄で料亭「崇」を開業した田中俊祐さん(以下、田中さん)です。

「お店をするなら、名田庄で。その気持ちはずっとありました」と話す田中さんが地元で料亭を立ち上げる意味、そして料理人の視点からおおい町の食の豊かさについて話してくれました。

田中 俊祐(たなか しゅんすけ)
1992年、おおい町名田庄生まれ。2011年「菊乃井 本店」に入社し、主人村田吉弘氏に師事する。十年間の修行を経て帰郷し、2023年「崇」を開業。

地元の料理や食材を繋ぐことが、僕が生まれた意味の一つ。

――田中さんは高校卒業後にすぐ、菊乃井に入社されたんですよね。もともと料理人になりたい気持ちがあったのですか?

実家がカネイチ商店なので、小さい頃から新鮮な魚や仕出し料理など、料理に触れる機会が多くありました。そのため、高校を卒業したら料理人になろうとぼんやりと思っていました。

菊乃井に入れたのは運が良かったです。専門学校に通わずに現場で働けないかと相談した学校の先生が、周囲の高校に掛け合ってくれたおかげで菊乃井の募集が見つかりました。当時、菊乃井のことを全く知らなかったのですが、そのまま面接を受けたら入社できたんです。

カネイチ商店

――いきなり名店に。どんな毎日を過ごされたんですか?

僕が入社したころは、朝6時に出社して、夜はもう12時を超えるのが当たり前でした。今は働き方改革で変わっているのですが。掃除や食材の下準備をしたり、賄いを作ったりして、一年目は本場の基礎の基礎を教えてもらいました。

――その後、菊乃井で一人前として認められるまでにどれくらいかかるのですか?

菊乃井では、目安として5年で弟子として認めてもらえます。ただ、5年で一人前になれない人も沢山いるので、人それぞれです。僕は専門学校に通っていなかった上、不器用だったので、自分が納得できる技術を身に付けて一人でもできると思えるまで10年かかりました。そして、そのタイミングでコロナが流行し、外出自粛ムードのなか色々と考える時間があったため、名田庄でお店を開くために戻ることを決めたんです。

――違う店で働いたり、都会で出店したり、他の選択肢は考えませんでしたか?

ずっと「いつか、名田庄でお店を開きたい」という思いがあったので、他の選択肢はなかったです。水のきれいさ、野菜の美味しさ、ジビエがあることなどが理由ではなく、「何があるかわからないけど、とりあえず帰ってやってみよう」という気持ちでした。

――素材の魅力というよりは、名田庄でやりたいという気持ちが一番強かった。

そうですね、理屈で動いたわけではありません。ただ、開業準備を進めるなかで、食材の豊富さには驚かされました。近所のおっちゃんが名田庄の山ではせりやクレソンといった山菜が採れることを教えてくれたんです。京都では買っていた山菜が、名田庄では“山にある”のです。

裏山で摘まれた山菜

他にも、昔からあるなれ鯖の作り方や畑での野菜の育て方など、色々な人からアドバイスをもらいました。こうした地元の伝統的な料理や食材は、受け継ぐ人がいないとなくなってしまう。それらを繋いでいくことは、大袈裟かもしれませんが、僕が生まれた意味の一つなのだと思います。

田中さん自身で野菜を育てている畑

崇まで来てくれるお客さんも、この土地ならではの体験を求めているはず。京都の料亭と同じ場所で仕入れたものではなく、隣の畑で育てたものや地元の猟師さんが獲ってきてくれたジビエ、自分で摘みにいった山菜などがあって、初めて崇の料理は成立します。とは言っても、僕が勉強してきたのは京料理なので、京料理らしさを出し、細部に技術を加えたうえで、名田庄の文化や歴史も味わってもらえたらと思っています。


言い訳できないほど、地元の食材は豊富にある。

――おおい町に移住してきて、魚や野菜などが新鮮だと感じました。料理人である田中さんの視点からはおおい町の食がどのように見えているのか、聞いてみたいです。

食材はかなり豊富にあります。ありすぎるくらい、あります。まず、川の魚も海の魚も美味しい。味も鮮度もいいのは海と山が近く、山から湧き出た栄養の入った水が川をつたって、海に流れているからだと思います。

炭火で2時間焼いた川魚アマゴ

また、名田庄は標高が高く、寒暖差が大きいので、畑の野菜も田んぼのお米も美味しく育ちます。他にも、猟師さんがジビエを獲ってきてくれたり、自分で裏山にある山菜を摘むことができたり。そして、山を手入れしてくれる人や新鮮な魚を届けてくれる漁師さん、こだわって野菜を育ててくれる人たちが、顔が浮かぶくらい身近にいます。そうした環境で料理ができることは、本当にありがたいです。

――食材や生産者の方々との近さ、いいですね。

そうですね。また、旬の食材しかないところも特徴です。近所の農家さんや購入した隣の畑で採れる野菜も、裏山の山菜も、漁師さんが獲る魚も、自然とすべて旬のものになります。だから、季節によって変わる食材を使って、京料理を工夫し、崇ならではの料理に仕上げています。あるものを活かすしかないのは面白いですよね。

崇の立地は市街地ではないので交通機関も限られています。しかし、食材が豊富にあるから、なにも言い訳はできない。言い訳できない環境に身を置くことは、良いことだと思っています。そして、交通の便が悪くても、ありがたいことにお客さんは来てくれています。

お世話になった大将が「料理人という職業は、自分が好きな料理を通じて、お客さんに目の前で食べていただき、美味しい、ありがとうと言ってもらえる。これほど素晴らしい仕事はないぞ」と言っていましたが、本当にその通りだと思う日々です。

ーー僕も次は取材ではなく、田中さんの料理を食べにきたいと思います。
ぜひ、いつでもお待ちしています。今日はありがとうございました。

編集後記
山の麓にある集落へとつづく道を登ると「崇」へとたどり着きます。崇の建物は、田中さんの曾祖母である「すうばあちゃん」が住んでいた場所だそう。店の横には畑があり、裏には山がある。店内で田中さんのお話を聞いていると、言葉一つひとつが正直で、周囲の環境に馴染む自然体な人だと感じました。

また、何度も「ありがとうございます」という言葉を聞き、菊乃井の大将から、生産者、近所の方、お客さん、福井新聞や福井テレビなどの広報に携わった方まで、様々な人に感謝の念を抱いていたのも印象に残っています。この土地で田中さんが作るからこそ成り立つ料理を食べてみたい。純粋にそう思ったので、今度はお客さんとして遊びにいきます。

執筆・撮影:張本 舜奎

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