仮想の往復書簡 第2便
戦下でも人は穏やかな声を発している
こんにちは。
先日、『マリウポリ 7日間の記録』というドキュメンタリー映画を観ました。
ロシアによるウクライナ侵攻で住まいを追われ、街の教会で避難生活を送るマリウポリの人たちを追った記録映画です。
あるシーンで聞こえてきた人々のささやき声が印象的だったので、そのことについて書いてみます。
撮影カメラは、いつ止むともわからない大砲の発射音が轟く中、教会での避難暮らしが続いていく様子を淡々と写し撮っていて、ナレーションも、人々へのインタビューもありません。食事の時は教会の講堂らしき部屋に、大人も子どもも集まって、神父様がウクライナ語で、食前のお祈りをします。食事が済むと、テーブルにはいつの間にか毛布が敷かれて誰かの寝床にもなります。
あるシーンで、その講堂にみんな集まって、食事をするでも、何をするでもなく、互いにただ静かに会話をしている様子が映されていました。爆撃の影響か、停電になっており、小さな窓から外の昼日が僅かに入っていますが、部屋は薄暗くてほとんど人の姿が見えません。暗い室内で、人の話し声だけがさざ波のように静かに聞こえているシーンなのです。
姿は見えないけれどおそらく15人くらいかもっと大勢の人がいて、小声で、そばにいる人に柔らかく何か言葉を投げかけている。1人ずつの声は小さくても、何人もの声が重なり柔らかな周波数のようになって聞こえてきます。
何をしゃべっているのかはわかりません。
畑の手入れが出来なくて心配だよ、とか
配給で届いたあの粉っぽいビスケット食べた?とか
あなた、ここのボタン取れそうよ。あとで電気がついたら縫ってあげる。
あら、ありがとう。このシャツ娘にもらったものなの。
そんなお喋りを交わしていたのでしょうか。
ウクライナ語の持つ発音が生み出す柔らかさなのか、森の中の湖の水面を優しく風が撫でて行くような声の広がりで、なんとも心地良い音なのです。この空間にもし赤ちゃんがいたら、安心しきってすやすやと眠っているでしょう。
一歩外に出れば、いつ爆撃にあたるかわからず、この戦争がいつ終わるのかもわからず、いつ家に帰れるのか、いつ日常が戻るのか、全くわからないというのに、人々は自分の隣にいる人と、明るいとさえ思えるトーンで言葉を交わし続けていました。
戦争という悲惨な状況下で、電気も途絶えた暗い部屋の中で、人はあんなにも穏やかな声を発することができるのか、と思ったのです。
映画を観た数日後、偶然、ウクライナ語入門講座という4回限定のオンラインレッスンを見つけて、受講することにしました。授業は来月からスタートします。こんにちは、も、ありがとうも、ウクライナ語で何というのか一文字も知りません。たった4回の授業ですが、ウクライナ語に少しでも触れることで、あの印象的だった人々のささやき声が、耳に残り続けるといいなあと思います。
授業の感想は、また折をみて書きますね。
それではまたお便りします。
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