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みんな何を祈ってるんだろう。
明けました。というわけで(というわけで?)2021年はお参りしたり、お寺とのイベントを調整したり、神頼みしたりと個人的に「お祈り」することが多い一年でした。
日常的な祈りを伴わない生活をしてきたせいか、必要に迫られて何度も祈る中でだんだん分からなくなってしまった。難しくないですか?みんな何を祈ってるんだろう…。分からないなりに一旦は「希望を伝えてその実現を神仏等の力に期待する行為」だと仮置きして、2021年は祈りに挑んでみたのだった。
せっかく人知を超えた大いなる存在に対し要望するのだから、生活の幅広い事柄に影響してほしいと欲張ってしまう。
となると生活全般のクオリティが上がってほしいとの観点になるのだが、当人でコントロールできる事柄はやっぱりそのプロセスと成果は自分のものとして手放したくないと思うし、努力している誰かの場合はその努力が実を結んでほしいとは強く思うものの結果の良し悪しを本人以外の人間が勝手に期待することは何か違う気がする。かと言って、自分以外の人に何か良からぬ影響を与えるような依頼事項はしたくない。
これらを踏まえ、「どうか理不尽なことが起こる機会が少なくありますように。努力でどうにもできない、例えば確率で決まる物事は良き面に着地しますように。暴力が誰にも不当な介入をせず、すべての人、特に身近な人がその人の望むように暮らせますように」みたいな確率調整に係る依頼というか、自分ひとりの力だとリーチできなさそうな事項を探して祈るようになった。
つまりぼくは、「買ったアボカドが割ってみたら絶妙な熟れ具合で、傷んでいませんように!」みたいなことを祈るのだ。よくわからぬが、ぼくにとって祈りとはアボカドのことなのだろう。
みなさんは初詣などで、何をお祈りされていますか。あるいは普段なにを考えて過ごされていますか。こういう話が読みたくて、今年もインターネットを読むのだろうなと思います。というわけで(というわけで?)2022年もよろしくお願いします!