できれば飲みに行きたい
各自感染症対策をして、対策を徹底しているお店を選んで、常日頃から顔を合わせているメンバー4人に限定した上で焼き鳥屋に行った。2年ぶりに近い飲み会。久しぶりすぎて食べものオーダーするタイミングや適切な量が判らずラーメンまでその場で食べてしまい、一晩越してもまだお腹がいっぱいだった。楽しい。
仕事をしていると趣味も信念も自分とは違う、学生時代だったら友達になってなかっただろうな、という人とも関係を持つことになる。個人的にはそういう『社会性』みたいなものによって誰かと関係性が生まれることは好ましく思っていて、「へー、そんな考え方して過ごしているのか」「そういう文化を好んでいるからああいう発言に繋がるのか」みたいな気づきもあるので職場の飲み会は結構好きなほうです。
(そりゃ中には「なんだこの人」ってタイプの人とも仕事を通じてやりとりしなくちゃいけないのだけど、そういう場合は親切ではないが丁寧な態度で必要最低限のやりとりを職場でのみ行うにとどめるのだった。仕事は仕組みだし、仕事を進める関係者は機能であるべきで、誰かの人格が仕事を阻害してしまうのであれば仕組みが脆弱なのだ、悪いのは人でなく仕組みなのだ…と強く信じなければやっとれんよね。)
お酒自体が好きな側の人間なので、おいしいものを食べながら各自勝手に気ままに飲んで、出口のない話をだらだらとする飲み会の場はやっぱり好きだな。「飲みに行きましょう」と気軽に言えなくなったこの期間で、生まれなかった関係性っていっぱいあるような気がする。でも「誘われなくて気が楽」という気持ちもわかるので、「そういう時代だった」というだけなのだろう。それでもぼくは、できれば飲みに行きたいのだった。