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物理的な存在が気持ち良い、ということ

LAMYのpicoというペンが好きで、毎日ポケットに入れている。印鑑くらいの大きさで、つるっとしたフォルムが弄ぶのにちょうど良い。ノックすると小気味良いシュコっという音と共に軸が伸びる。ペン先に余計な隙間が生まれることもなくて、紙の手触りがペンを伝って感じられるのが楽しい。触っていると、何かと気持ちがいい道具だ。

物理的な存在が気持ち良い、ということが少し気になる。適度な重さ/適切な大きさ/ひっかかりのある形のものを触るとか、規則正しいが普段聞かないタイプの音が出るとか、持ってなんかしっくりくるとかそういう気持ち良さ。トランプや昔からあるボードゲームの駒とかも気持ちいい気がする。だんだん洗練されてきて今の形になっていったんだろうか。仕事の合間に囲碁の石とかある程度の物量で触りたい(あの囲碁の石を入れる入れもの、碁笥(ごけ)というらしい)。

果物で程よく良い感じなのはみかんのSサイズかな。手に収まる感じとか、可搬性が高いのもの良い。品種改良の観点は基本的に「味」と「生産効率性」だろう。次いで「運搬のしやすさ」「形の美しさ」とかかな。「触って気持ちいい」を追い求めた果物とかあるんだろうか。

たぶん「物理的な存在が気持ち良いもの」って元々自然に存在していて、河原の石すべすべして気持ちいなと思った人がなんか作るときにちょっと真似してみて、いいじゃん気持ちいじゃんもっとすべすべさせよ!みたいになっていったんじゃないか。

そう考えると「手に馴染む良い道具」や「暮らしにフィットする洗練された家具」、「ついつい続けてしまう中毒性の高いゲーム」は、誰かが感じた気持ち良さの理解・解体とその蓄積の結果なのかな。500万年に及ぶ人類の欲望が洗練されていった結果の気持ち良さ、というドロッとした部分があって、気になるのだった。

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