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フルーチュ

やっと少し、身体が軽くなった。

まだダルさは残っているし、頭痛も腰痛も消えそうな気がしない。それでも熱だけは引いた感覚があり、子供達とともに元気に起きられた。

そのまま元気に支度をして、朝食を終えた上の子が、突然私にこう話しかけた。

「おとーさん、フルーチェすき?」

40年近い私の人生は、フルーチェと交わることがなかった。何となく関わらない方が良いような気がしていて、お互いに距離を置いていたのだ。従って、私はフルーチェの味を知らない。

では何故、急に上の子はそんな話題を振ってきたのか。週末に出掛けた、保育園のキャンプにて、フルーチェを振舞われたのだそうだ。それを食べ、気に入ったらしい。それもそうだろう。これまで知識すらも無かった、キャンプという行事に初めて参加したのだ。仲の良いおともだちと愉快に過ごし、大人数で食べるとなれば、それが何であれ衝撃的な旨さだろう。

しかし、お父さんはその味を知らないのだ。増してキャンプ先で食べるところなど想像もつかない。そういった事情をやんわりと伝えると、「そうなんだ…」と残念そうにしながらも、今度は下の子に話しかけた。

壹號(上の子)「フルーチェってしってる?」
貳號(下の子)「フルーチュ…」
壹號「フルーチュじゃなくてフルーチェ!
貳號「フルーチュ……ソーユーノ チョット ワカンナイ!」
壹號「デザートだよ」
貳號「フルーチェ…?」
壹號「プリンみたいで、ゼリーみたいな、プニュっとしてる」
貳號「ナニアジ?」
壹號「ブドウとか…あとイチゴとかもあって…」
貳號「ブロー! ブロー シキダヨ!」
壹號「ブドウのあじね?」
貳號「デモ イチゴ キライケド…」
壹號「そういうのもあるよってこと!」

と、どうも満足のいく会話にはならず、言葉のデッドボールやドッヂボールは空中分解した。上の子は、ただキャンプ先での感動を分かち合いたいだけだったのに、我が家の朝は優しくなかったのだ。

今日もまた、天気が良い。子供達は寒いとか寒くないとかキャッキャ言いながら登園し、先ほどの会話などどこ吹く風だった。

昨日までは、私が熱を出していたために、保育園への受け渡しを玄関先でお願いしていた。しかし今日は、教室まで連れて行ってやれそうだった。だから私は、「おとーさん、きょうもねつ?」と尋ねてきた上の子に対し、「今日は教室まで行くよ」と答えた。それを喜ぶかと思ったのだが、「でも、ちょっとはねつあるんじゃない?」と追撃してくるではないか。

きっとその特別感が嬉しいのだろう。キャンプ先でのフルーチェと同じように、普段とは違う特別なサムシングを楽しめる年頃になったということだ。私は先生にお願いし、玄関先で子供達を見送った。

それから近所のスーパーへ、リハビリがてら買い物に出た。普段から鈍り切っている我が身体は、ここ数日の病臥によって更なるナマクラ状態になっている。今日は上の子の好きなおでんでも煮てやろうと、スーパーの棚を眺めて歩いていたら、急に具合が悪くなった。

予定よりも早めに買い物を切り上げ、家に買って布団を纏い、また少ししんどい時間を過ごした。

おでんは作った

夜になって、夕食がおでんであることを告げると、上の子は大喜びで配膳を始めた。こんなにおでんが好きな6歳も珍しいのではないだろうか。好きな具材をタップリ食べて、ご飯もお代わりしていた。

一方下の子は、切った玉子の中身を見て、

「スワント シテル」

と言っていた。意味は全然わからないが、沢山食べていたので良しとしよう。

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