2020年バレンタインの話
今年のバレンタインは職場と家族にせっせとクッキーを焼いてクッキー缶作りに勤しんだ。バレンタインらしくココアのアイスボックスクッキーに、刻んだチョコを入れたチョコクッキーに、定番化した紅茶のクッキーに、すこしだけレシピを変えたプレーンサブレに。
何を隠そう、クッキーという食べ物が青い怪物か??ってくらい好きなのである。
バターの風味がしっかりしていて、ザクザクというよりはなめらかで舌触りがよく、薄すぎず、過度に甘すぎず、そういうものがいい。ディアマンといえば周りに砂糖をまぶしてあるのが一般的だけれど、個人的に手間なのとあのジャリっとした砂糖の食感がすこしだけ苦手で、自分で作るときにはめったに砂糖をまぶさない。バニラなども入っていない、ほんとうにシンプルな、さとう、たまご、小麦粉、バターで作るクッキーがすきだ。
焼き目はこれくらいこんがり焼くのがいい。
見た目としてはもう少し控えた方がきれいなのだけれど、こんがりくらいの味がすきなのだ。さっと思いついたときにボウルと秤とゴムベラと泡立て器と、あとは材料さえあれば作れる気軽さもいい。体力に不安がある時は、順番にフードプロセッサーに混ぜてもらう。後片付けの面倒さがあるけれど、フードプロセッサーにいろいろ頼るようになって、料理へのハードルが低くなったのを感じる。
趣味といえるほどのものではないが、料理やお菓子作りは私にとって心のデトックスのようなものである。疲労困憊な時ほど凝った料理を作りたくなるし、余裕がないときほどわざと時間がかかるようなお菓子を作ったり、発酵に手間がかかるパンを焼いたりする。
私の母親はどちらかというとマメな方で、幼い頃から極力手作りのものを食卓に並べてくれた。大人になったいま、それがどれほど大変なことか身に染みて分かるのだけれど、新しい料理を食べるたび「これ、何が入ってると思う?」「味付け、何でつけてるでしょう?」などと食材や調味料の分析を癖づけてくれた母親が、わたしが「食べることがすきだなあ」と感じる大元のように感じている。
わたしは食べることと寝ることがとてもすきだが、ただ単に「食べる」ということがすきではなく、どちらかというと「食べることがすきだ」というより、「食べ物に対する好奇心」に近い。かといってゲテモノが食べられるかと言われるとそうではないし、食わず嫌いもそこそこ多い方なのだが、「これ、食べてみたいな〜〜」という興味がまず、食べることへの導入であることが多いのだ。食べたことがない料理を食べた時も、材料、舌触り、見た目、噛み心地など、いちいち頭の中で分析しながら食べるくせがついている。頭を動かしながら食べるのが好きなのだ。「これ、食べたことあるけど何の味だっけ」となるときが世界一悔しい。
バレンタインはあれだけ盛大にチョコの祭りが開催されるのに、ホワイトデーにクッキーの祭りが開催しれないのはいささか不平等なのではないかと思う。いろんなお菓子屋さんやパン屋さんや、お菓子屋さんでもパン屋さんでもないお店をずらりと並べて、それぞれそのお店の一押しクッキーを並べるお祭りがあってもいいと思う。会場いっぱいにこんがりしたにおいが漂って、地図を眺めながら「どこから回ろうかな」と戦略を立てたり、「全種類ください!」なんてやってもみたい。クッキーは一枚ずつ買えるようにして、物産展みたいに焼き立てを販売するところもあったりして。各自エコバックを持ち寄るなり、持ってない人は入り口でお買い物袋を買うなりして、その袋いっぱいにクッキーを買ってみましょう!ってお祭り。あったら絶対行くのになあ。そんなことを考えながら、最後の一枚のクッキーを食べた。昼間はあんなにあったかかったのに、夜はやっぱりまだ寒い。隣を見たらおはぎがおもいきり伸びて眠っていて、ああ今日も幸せだなあと、そんなことを思った一日なのであった。