心因性の疾患
古来「病は気から」などという言葉もあり、気分から病気になってしまうこともあるようです。私は医者ではないので、病気と診断されるものに対して意見をするつもりはありません。しかし、心因性と診断されると事実上医療の領域ではないと扱われ、何の解決方法も示されないまま放置されるのが実情であるのはどうかと思います。もちろん、実は違う疾患が隠れていて、より専門性の高い医療機関によって見つかるという例もあるので、患者は真実を求めて病院行脚をするのであろうが、本当に心因性であった場合、それはどこにもたどり着かない最果ての旅となってしまうことでしょう。
では、心因性なのかどうか、自分で見分ける方法はあるのでしょうか?今から論じる内容は、あくまでもひとつの目安として考えてください。
心因性かどうかの見分け方は、気の持ちようによって症状が変化するかどうかです。まったく当たり前のことを言っているのですが、自分が病気であると頑なに信じている人は、このことにまったく気を向けようとはしないのが実情なのです。
自分で自分の気の持ちようを変えるのは、普段からの訓練が必要です。心因性の病気を抱えるような人はまず間違いなく、それまでそのような訓練はしていないものです。自分の心にまったく関心を持っていなかったと言えます。だからこのような人たちは、問題解決しにくいのです。
ではどうすればそれを簡単に確かめることができるかと言うと、外的要因によって自分の症状がどう変わるかを観察するのです。たとえば、人と会話をしているときや、趣味に興じているとき、あるいはテレビを見たり音楽を聴いたりしているときに何か変化があるかどうかということです。本当に疾患を抱えている場合でも多少の変化はあるでしょうが、心因性でなかったら、自分の気の持ちようによってそんなに症状が変わるものではないでしょう。それが目安となるのです。
何でもないときは、心も身体もまったく気にしていないでしょう。しかし、いざ何か不調になったときのことを考えて、それらについて気を向けておくことが必要なことは言うまでもありません。
世間では身体についての関心は比較的高く、情報もわりと豊富ですが、心については非常に大雑把な扱われ方をしていると言わざるを得ません。心に問題を抱えたら、とにかくリラックスしましょうといった文言が繰り返されるだけというのが現状です。その原因としては、心については決定的な理論や療法が確立されていないからであると思われます。これはこれからもそう変わらないのではないでしょうか?なぜならば、心に関しては客観的な観察方法がないからです。患者本人の主観的な気分の問題だからです。これを客観的、普遍的を重要視する科学的な考え方とは相性がよいとは言えませんから。
だから、人それぞれ心に対する自分の理論を持ち、自分の方法論を持っておくことに意味があると思います。そのための一助になるかと考え、私は私論を発信しているのです。
心の問題の場合、いざそのときになっても、通常のように病院に行けば何とかなるというものではないのが実情です。だから最低限それらの問題に対しての知識くらいは必要なのではないかと私は考えます。
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