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25歳にしてやっと「付き合いたい」を理解した話
今年の3月にマッチングアプリを始めた。
1年くらい前に大学の頃の友だちに会ったとき、みんな普通にマッチングアプリをやっていることを知り、「やってみるか」とインストールしてみたことがあるものの、その時はとにかく知り合いに見られるかもしれないのが怖かったし、そもそも男性と会ったり付き合ったりする心の準備が全くできていなくて、登録した翌日に退会した。
そんな私が今回はちゃんと顔写真を晒し上げ、紹介文を整えて、数人の人とやりとりもした。なにかしらの偉い賞を表彰されてもいいくらいこれはすごいことだ。
(前回からどんな心境の変化が起きたのかを深掘りすると長くなりそうなので、ここではいったん「春がそうさせたから」ということにしておく。)
実際に会ったのは今の彼を入れて2人。
1人目の男性も優しい方で、よく笑いのツボが合って、くだらない話もたくさんしながらリラックスしてお話しできた。
1度目に会ったとき、
「実はお付き合いしたことがなくて、付き合いたいというのもよく分からず、3回会っただけでは決められそうにないです」と言うと、
「もっと軽い気持ちで付き合ってみてもいいんじゃない?そんなにお互いが好き同士で付き合うことは多くないと思うよ」と言われ、
世のカップルは好きがあやふやな状態でなんとなく始まるケースが多いことを知って少し衝撃を受けた。
「3回でだめなら何回会ったら決められそう?」と訊かれたので、なんとなく「5回、かなあ…」と答えると、「じゃあ5回会おうよ」とさらっと言ってくれた。
恋愛がスローテンポな私に寄り添ってくれたことが素直に嬉しかったし、少しどきっとした。(注:全然軽そうな人ではなかった)
その後にもう一度会って、3回目お会いする前に生意気にも私の方からごめんなさいの連絡をした。
いろいろな理由はあるけど、なかでも大きかったのは、ふと我に返った時に「1人でいる方が楽しいなあ」と思ってしまったから。
私はもともと1人でいる時間がすごく好きで、1人でいる時の自分がいちばん自分らしくて好きだ。
世間一般は2以上なのかもしれないけど、私の世界の構成単位の基準は1で、1人の状態で完結し安定している。(恥ずかしながら最近まで寂しいという気持ちがよく分かってなかった)
もともと四本脚の椅子から一本引き抜くとぐらぐらするけど、もとから三本脚なら3本で十分安定できる、というイメージ。(伝わっていることを願います)
この完結した1人の世界を超えるのは結構難しくて、これ以上会う回数を重ねても、付き合いたいという気持ちは芽生えない気がして、1人目の方にはお別れを告げた。
それを経て「やっぱり人と付き合うのは無理なのかもしれない」「付き合いたい、ってなんなんだ」と蓋をしていた霧がもわもわと広がりはじめたのだけど、その霧は今の彼に出会った時にサーーッと消えた。
今までの十数年の悩みは何だったのかと笑えるくらい、坂道のボールが上から下に転がり落ちていくような自然の摂理のごとく彼を好きになって、幸運なことにお付き合いに至った。
初めて会った時から不思議と強く惹かれて、どきどきして、別れる時はまだ帰りたくなくなって(人生で初めての感覚だった)、不意に連絡がくると思わず頬が緩んでしまって、自分でも戸惑うくらい自然に、この人ともっと一緒にいたいと思った。
「付き合いたい」って、
「ただ一緒にいたい」って気持ちなんだ…!
なんてシンプル!!!なんて単純!!!!
1人の世界があまりにも完結していた私にはこんなシンプルなことを理解するまでとても長くかかってしまった。
25歳。
やっと、人間の心が芽生えた。
……ぽっ。(芽生えの音)
芽生えてからの変化としては、恋愛ソングとか恋愛のお悩み相談とか、今まで興味も持たず真顔で通りすぎてたものがとても新鮮に感じるようになった。
ずっと何言ってるか分からなくて雑音でしかなかった英語のリスニングがある日いきなり鮮明に聞き取れるようになって「聞こえる…!え待ってこんなこと言ってたの⁈」ってなったみたいな。やっとクリアに聞こえるようになった。
今も相変わらず1人の時間は大好きだ。
でもこれまでのように完結はしていないかもしれない。
1人でエスカレーターに乗ってる時や新幹線の窓から外を眺めてる時なんかのふとした時に、「ああ、いま隣に彼が居たらいいのになあ」と思うことが最近は時々ある。
彼も私と同じようにずっと一人で生きてきた人だけどどうなんだろう。思い浮かべたりするのかな。
恥ずかしいから訊けないけど、彼にとっての私もそういう存在であれたらとても嬉しい。
つづく。