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after sun
書くことがなくなった
もう書けないや
明日を
友だちに勧められアフターサンを観た
美しいと終始思って観た
大人になった。母が母になった時、
父が父になった時の歳に追いつく
親は大人だと思っていたけれど
こんな感じだったのかもしれない。
高校生は大人だと思っていた、大学生は大人だと思っていた、20歳、25歳はもっと大人だと思っていた…とどんどん思っていたよりも大人じゃない自分とのギャップ。にも慣れてきた。よくもわるくも
違国日記を読んだ 最終巻。
衛星というシーン笠町くんのシーン
朝は愛していると言ってくれたらいいのにと言った 槙生はそれでは足りないと言った
たまらなかった いつのまにか
愛する人単位で日々をカウントする
違国日記は詩のような漫画だなと思っていた
槙生の思いが、朝の思いが、詩で締めくくられたのに感動した。もう一度読みたいと思った。
最終巻、ここまで来るのは長かったけれど
自分も一緒に成長しているように思った。
あっという間に読み終えて寂しいので何度か読んだ
この2つの作品に今触れて
大人と子どもの2つの視点を意識する
もう少し時が経てばまた違う感覚で観て読むのだろうか
28歳になる、ばあちゃんが90になる
元気でいてほしい、おばあちゃんにひ孫を見せたいというのが私の夢 これを夢としない方がいいのかもしれない 頭ではわかっているけれど そう祈ってしまっている 祈るだけで自分ではどうしようもないことばかり日々着々と過ぎてゆくことへの怖さ 時間が今は1番こわい 祈ることさえ難儀だと
2人のちょうどよいところに辿り着けないのだろうか。けれど形はどうあれあなたを思っていたい、明日はそんなことを考えよう。
衛星という考え方はこれからもきっと私の中に残るのだろう。